「明日に向かって」 ヨハネによる福音書6:1~10

 イエス様による5000人の給食という信じられない奇跡の物語です。四つの福音書全部に記録されているこの出来事は、イスラエルの民にとって出エジプトと荒野での奇跡体験以来の大事件でした。しかし、「奇跡」は信仰決心のきっかけにこそなれ信じる根拠にはなりません。その証拠に彼らは奇跡を体験しながら神様から離れてしまいました。世の中、奇跡を信じる人は多くても、目に見えぬ神様が御子を与えるほど私たちを愛して下さっている事を信じる人は少ないのです。

 「このわたしが、群れの残った羊を、追いやったあらゆる国々から集め、もとの牧場に帰らせる。群れは子を産み、数を増やす。彼らを牧する牧者をわたしは立てる。」(エレミヤ23:3)預言者エレミヤは、国滅亡の中にあるイスラエルの民に真の牧者の到来を告げます。それはまるで、詩編23編が語る「羊飼い」です。苦しい時、行き詰った時、先が見えず不安な時こそ私たちを養ってくださる方がおられると言うのです。神様は、私たちが人生の節目や岐路に立つ時、悩みや試練と共にある時、私たちを不足なく、休ませ、養い、豊かに導いてくださる方です。

 「何を食べようか、何を飲もうか、何を着うようか」と煩う私たちにイエス様は、「神の国と神の義を求めなさい」(マタイ6:33)と、明日起こる事すべてを既にご存知の神様に心の焦点を当てることを求められます。その神を信じるきっかけ、信頼して良い印としてイエス様は、少年が持っていた僅かな糧を、欲しいだけ余るほどに分け与えられたのです。しかし、人々は神ではなくパンに目を向けていました。

 若い日は限りない希望と自信とにあふれる時代ですが、同時に不安の時代でもあります。現実世界に自分の将来や能力の限界を見、悩む時でもあります。「神のわざを行うために何をしたらよいか」との人々の質問に、主は「神がお遣わしになった者を信じること」とお答えになりました。イエス様を信じ、神に信頼する時、皆が養われるためには何の役にも立たないと思えていたわずかな五つのパン、二匹の魚が有り余ったように、私たち一人一人の比較できない、交換不可能な存在が皆のために生かされ始めるのです。私たちは自分という器に小さく収まっていないでしょうか?主はあなたの明日に大きなご計画を持っておられるのです。

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2013年10月06日  (過去メッセージのリンク)
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