「恐れることはない」 ルカによる福音書1:5~13

福音書記者ルカは、キリスト・イエスを神話化するためにではなく、救い主到来が真実であることを伝えるために降誕を巡る出来事を書き綴ったのだと思われます。ルカは神の言葉が人間の思いや不可能を越えて成就することを告げ、救い主イエスが私たちに与えられた神の子であることを証言しました。

箴言15:29「主は逆らう者に遠くいますが、従う者の祈りを聞いてくださる。」とあります。ザカリヤとエリサベト夫妻には子どもがなく、それは当時の社会の中では恥とされていました。しかし夫婦はそれでも神の前に正しく生きていました。ただ、彼らは跡継ぎをあきらめていたようです。年老いた二人にはもはやその願いは現実的ではなかったのです。そんな彼が祭司としての役割を果たしている時、「大勢の民衆が皆外で祈っていた」とあります。皆の祈りの中に天使は現れ、その出来事は起こったのです。

「恐れることはない。」モーセ、ヨシュア、ダビデや多くのリーダーたちが神のその言葉に励まされました。そして、イエスのご降誕を前に、マリアやヨセフ、そして羊飼いたちといった普通の人々がその励ましを受けようとしていました。

「あなたの願いは聞き入れられた。」 ヨハネ5章で38年間病気で苦しんでいる人が出てきます。イエス様は彼に聞かれました。「良くなりたいか」。しかし、病人は的外れな返答をしてしまいます。今までの現実が質問の意味を見えなくしていたのです。イエスは言われました。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」ザカリヤは願いが実現するまで口を閉ざされ、妻のエリザベトは安定期に入るまで表に出ることはありませんでした。「時が来れば実現する神の言葉を信じなかった」からです。ザカリヤは神様を完全に信じることができませんでしたが、彼を通してイエス様のさきがけとして洗礼者ヨハネをお与えになりました。神を疑うことは自分にはないと言う人がいるかも知れません。しかし、人間は弱いものです。信仰は神様からの賜物、私たちの願いを実現するのは神です。ヨハネは言います。「イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。・・神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。」(1ヨハネ5) 私たち自身も主イエス・キリストを信じる信仰から御聖霊により生まれる者であることを明記しなければなりません。

2012年12月9日  (過去メッセージのリンク)
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