「教会の基礎」 エズラ記3:8~13

 エズラ記は、イスラエル最後の王国ユダがバビロンによって滅び強制移住させられ、その苦しみの生活から50年後ペルシャ王キュロスによって帰還を許され神殿と信仰の再建に取り組んだ祭司エズラの記録です。

 「神殿の土台」 王ゼルバベルに率いられてバビロンから解放され帰還した者の数は使用人たちも含め約5万人でした。民はそれぞれの町に帰還しましたが、エルサレムに集まると「一人の人のようになった」(3:1)のです。王は神殿再建の前にまず祭壇を築き、神殿の土台である礼拝を捧げ、準備に入ります。皆喜んで持ち物を捧げ、心を合わせて基礎工事に向かい、捕囚の苦労もバビロンでの豊かな生活も知る20歳以上のレビ人を工事の指揮に当たらせました。その完成への叫びは若い者たちにとっては「喜びと感謝の叫び」、第一神殿の栄華を知る者たちにとってはその荘厳さとのあまりの違いにおける「悲しみの嘆き」という交じり合った叫び声でした。

 「信仰の土台」 イエス様は、到底困難と思われる数々の戒め「腹を立ててはならない」「姦淫してはならない」「復讐してはならない」「敵を愛しなさい」「人を裁いてはならない」などの教えを語られました。そして、その上で、「家と土台」のたとえをもって説教を終えられました。

「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。」一見、言行一致を求める言葉に見えるイエス様の言葉は、信仰の本質をあらわにします。二人の建築家は同じ材料、材質で家を建てましたが、土台が結果を分けます。土台の違い、岩と砂。岩は神の材料、イエス・キリストを救い主と信じる信仰、砂は自分の考え、経験、名声、価値観と言えます。「狭い門から入りなさい」とのイエス様の言葉は私たちを天国の門の入り口に立たせます。思いもよらない試練、生活の中に潜む数々の誘惑、人間関係の困難さに耐えうる土台、それがイエス様の言葉に応答する信仰です。神の言葉は深いです。それは「新しい」と言い換えられます。日々、御言葉に聞き主の言葉に応答して生き、喜びの声を上げることができるよう願い祈ります。

2012年10月7日  (過去メッセージのリンク)
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