「わたしの神さま」 詩編18:1~7(口語1~6)  

 いわれの無いことで初代王サウルから命を狙われたダビデは、王の死までの長い間不安と苦しみの道をたどり、王となってからも側近や息子からもその座と命をねらわれ苦しみを味わいます。また、罪の苦しみをも体験しました。しかし、彼は支え助け赦す主に信頼することを止めることはありませんでした。

 人生の歩みの中で、「何故こんなことが」と思うことや、ようやく落ち着いたと思っていた「矢先」に起こる出来事があります。そして、その苦しみの出口を見い出せない時、私たちの心は不安と絶望に支配されることがあります。しかし、主に信頼し救い出されたダビデの信仰から私たちは希望を与えられます。

 「主なる神を人生の土台とした」 聖書では主なる神の称号、名を40以上の言葉で表現し、ダビデはこの箇所で、力、岩、砦、逃れ場、大岩、避けどころ、盾、救いの角、砦の塔・・と呼びました。原書ではその語の前すべてに「わたしの」という言葉を付けています。それは、他の誰でもない、自身の苦しみの現実すべてに神が関わり助けてくださった実体験があったからです。インドネシア大地震で被災された方から東日本大震災の被災された方々に向け、「人生は思いもよらない苦しみに満ちています。しかし、それは価値ある人生です。」というメッセージが届いていました。「岩」とは揺るがずぶれず、たとえ迷っても逃れの場となり、苦しみの中に価値を見出させる確かな土台です。それは、御子イエスを私たちの救いのために差し出すほどの堅固な愛の岩とも言えます。

 「苦難の中から主を呼び求め、わたしの神に向かって叫ぶと・・叫びは御耳に届いた」(7) 神の名に信頼し生きていてもからみつく死の縄目、陰府の縄と思えるような困難試練が張り巡らされることがあります。しかし、「叫び」は神の耳に届く、神は必ず応答してくださるとダビデは確信します。

2012年9月9日  (過去メッセージのリンク)
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