「元気を出しなさい」 マタイによる福音書9:1~8  

 イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰って来られた。すると、人々が中風の人を床に寝かせたまま、イエスのところへ連れて来た。イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」と言われた。(9:1~2)

 今、イギリスではパラリンピックが行われています。元々1948年にイギリスの病院で身体障碍者のリハビリを兼ねた競技会が開かれたことが始まりで、現在知的障害者も参加する大きな大会となっています。それは、社会とは障碍がある人々があるからこそ社会であるという認識が生まれて来たことによります。イエス様の時代、障碍や病気は悪霊の働きであったり、罪の結果であり天罰だと信じられていました。彼らは偏見や差別を受けたばかりでなく、社会的に存在そのものを否定されていました。しかし、中風の者と友人たちはイエス様を信じ、行動しました。そして、イエス様は「そんな偏見に満ちた罪(小さな罪)は無きものとする」と宣言されたのです。病気や障碍はそれだけでも辛いもの、世間から注がれた更なる重荷苦しみからもイエス様は解放を与えられました。

 「子よ元気を出しなさい(しっかりしなさい)」イエス様の言葉は、「確かな基盤を持ちなさい」とも訳し得る言葉です。神様は究極の罪を赦す権威を持った方です。律法学者は、だからこそイエス様の言動につぶやいたのです。

 「罪は赦される」と言うのと「起きて歩け」というのとどちらが易しいか。口先で言うのと、言ったことが現実となるのとは大違い、律法学者の答えは明白です。しかし、イエス様は困難な方「起き上がって床を担ぎ、家に帰りなさい。」との言葉を採られました。神の子たる身分においてイエス様は因果ととらえるこの世の罪を無きものとし、彼の肉体に回復の力をお与えになりました。「神様はちまちました方ではない、父なる神がお与えになった権威によって命ずる。立て、そして元気に同じ社会に神の確かな基盤によって帰っていくのだ。」とイエス様はおっしゃったのだと私は思います。

 教会には真実の罪と人に作り上げられた罪とを識別し、わきまえる知恵が必要です。真に「赦し」と「解放」を告げる所となって参りたいと祈ります。

2012年9月2日  (過去メッセージのリンク)
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