「心の住まい」列王記上3:4~15

 列王記はイスラエル王国の繁栄と没落の歴史を綴ったものです。若き後継者ソロモンは夢の中で主に、謙遜な心をもって長寿でも富でも戦いの勝利でもなく、多くの民の訴えを正しく聞き分ける知恵を求めました。主はそれを喜び、彼に知恵に満ちた賢明な心と、彼が求めなかった富、栄光をもたらしました。彼は神の名を置く家を建て謙遜の限りを尽くしました(820-29)。しかし、彼の心は、父ダビデの心とは異なりました(114)。人というのは何と弱く失敗や間違いを犯す存在なのでしょうか。神に対して無頓着になったソロモンは判断力、選択力を失っていきます。「謙虚さ」も「知恵」も主なる神様を中心としない生き方においては的外れなものとなり、その結果も厳しいものとなることを王国の歴史は語ります。

 「主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る。」(箴言1:7)とあります。私たちの日々の生活、人生は小さな選択や判断の積み重ねで形作られ、時として大きな決断に導かれます。神様は正しい選択や判断にいつも私たちを招いておられる方です。しかし、人間的にどれほど謙遜であっても神様を軽んじるところにご自身の栄光をお現しになることはできないのです。

 「十字架につけられたキリストは神の力、知恵です。」(1コリント1:23)神様はしかし、その知恵をキリストの弱さの中に現してくださいました。神を畏れぬ世界にあって尚、私たちの心の住い(義と聖と贖いの家、正しい判断や選択の礎)となってくださる神に感謝し、その神に信頼する心をお与えになるよう願い求めます。

   <ラインホールド・ニーバーの祈り> 神よ、変えられないものを受け入れる心の静けさと、変えられるものを変える勇気と、その両者を見分ける英知をお与えください。

与えられた一日を精一杯生きられるよう、一時一時を楽しむことができるよう、苦しみは平安への道のりであることを受け入れることができるように。

たとえ自分の思い通りにならなくとも主イエスがそうであったように、この罪深い世をそのまま受け入れることができるように。私が委ねるならあなたが全てのことを正しく導いてくださることを信じられるように。 そうすれば私はこの地上にて幸いな人生を送り、また天国においてはあなたと共にある最高の幸せに与ることができますように

2012年8月5日  (過去メッセージのリンク)
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