麗しい地」 コリントの信徒への手紙一3:6~9

 「主はわたしに与えられた分、わたしの杯。主はわたしの運命を支える方。測り縄は麗しい地を示し、わたしは輝かしい嗣業を受けました。」詩編16:5,6ダビデは苦しみのただ中にあっても主なる神に信頼を寄せ、神が導かれた地を麗しい地と呼び、主置いてくださった場所が花開く場所である確信を歌いました。

「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」 コリント教会の分派騒ぎの中で、パウロははっきりとクリスチャンにとって大切なのは人とその働きではなく、人に救いと成長を与える神様とその御言葉であることを語ります。福音を伝えるためには、皆にそれぞれ役割が与えられており、特定のヒーローは必要ないのです。アポロもパウロも皆が福音のために用いられる僕に過ぎません。皆が共に神の救いの言葉に癒され養われ、成長させられていくことが大切なのです。不足を補い合うところに成長があるのです。

「ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。」 パウロは繰り返します。神様は多様な人々を救いの目的のために整えて一致へと導いて下さいます。人間の計画や思いや力で成そうとするところには混乱や分裂が起こります。神の思いの実現を望むのではなく自分の思いを互いに実現しようとするからです。「見よ、粘土が陶工の手の中にあるように、イスラエルの家よ、お前たちはわたしの手の中にある。」(エレミヤ18:6) 主の救いの業に参加することも、与えられた賜物を用いるにも、その中心は愛と慈しみの神様で、この方が成長させてくださり、働き人に務めと相応しく十分な報酬を与え、全体に調和を与えてくださいます。だからこそ、教会は働き人のものではなく、神の畑、神の建物なのです。

心の土地の石を取り除き、雑草を抜き、良く耕やすのは私たちの責任です。しかし、新しい命を与え、実を結ぶ種は神様からのもので、成長させてくださるのも神様です。その役割と領分とをわきまえ、最後はキリストにあって全てのものを嗣業としてお与えになる神様を信じて、与えられた場所を麗しい地とし感謝して共に生かされて歩んで参りたいと願います。

2012年7月1日  (過去メッセージのリンク)
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