「恐れてはならない」 イザヤ書41:10~14

この御言葉から、神様が私たちと共におられる事を確信していきたいと思いま

す。私たちはしばしば恐れ、思い煩い、心配する事が多いですが、神様は必ず共にいてくださり、全力で守り導いてくださいます。

 10節に「恐れるな」とあります。聖書は恐れるな、思い煩うな、心配するな、たじろぐなと何度も私たちに語ってきます。それは私達が恐れて心配しやすい性質を

持っている事を、神様は知っていてくださるからだと思います。

 私達の不安と思い煩いの原因は「不可能を可能にする神様」を疑ってしまう信仰の薄さにあります。もし私たちが、完全に神様に信頼する時、何の恐れも不安もありません。私たちには「神様を完全に信頼する信仰」と「神様は全ての事を通して最善に導いてくださるという確信」が必要なのです。私たちが「もしかしたら、この事は神様には出来ないかもしれない。」と少しでも疑うとしたら、私達は絶えず恐れや不安との戦いに生きることになるでしょう。ペテロは湖の上を歩いた時、風と波を見て不安になり、沈みかけました。サタンは小さな問題を大きく見せてきます。私たちは神様だけを見上げる必要があるのです。

「私の義の右の手」とありますが、これは勝利の手、救いの手と訳す事ができま

す。私たちは神様の「勝利」と「救い」で守られているのです。罪と死に打ち勝つ

神様の力、不可能と思える問題から救い出される神様の手で守られています。

11-12節 私たちは時として、迫害を受ける時があります。しかし、神様が私た

ちと共におられるので、私たちにいきり立つ彼らは、恥と、はずかしめと、滅びを

刈り取っていきます。神様の民を攻撃する事はそれを守っておられる方を、敵にしていることなのです。

13節 「あなたの右の手を硬く握り」とあります。

人の助け方には色々あります。ちょっと助けたり、気が向いたとき助けたり、余

裕があったら助けたり、さまざまですが、神様の助け方は手を硬く握り、力強く全

力で私達を支えてくださることです。人は自分の身を削ってまで他人を助けませんが、主は身の削るどころか自らを十字架にかけ身代りとなるまで助けます。私たちは主を確信して生きるものでありたいと思います。


By 川口 竜太郎

2012年6月17日  (過去メッセージのリンク)
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