神との絆」 ローマの信徒への手紙15:13

使徒パウロはクリスチャンの大迫害者でした。しかし、復活のイエス様との出会いが彼の人生を180度変えてしまいます。トルストイは自身の回心について訊ねられた時「回心とは、同じ道も行きと帰りとでは風景がまるで違って見えるように、人生のすべてが逆に見える世界に生きることだ。」と答えたと言われます。イエス様は、「心の貧しい人は、幸いである、天の国はその人のものである。悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。・・(マタイ5:3,4)」と、神の国の幸いが貧しさや悲しみの中にある当事者にあり、この世と逆説的に存在することを教えられました。

ペンテコステの日、信徒が一つ所に集まっていた時、一同は聖霊に満たされほかの国々の言葉で話し出し、ペトロは大胆にキリストがメシアであることを証ししました(使徒2)。この数年、キリスト教に関する雑誌が売れ、増刷、増刊が続き、新書でも「不思議なキリスト教」という本が昨年ベストセラーとなり売れ続けています。その本は様々な論議を醸していますが、当の教会が世の関心に応答できずにいるのも実情です。聖書は何を語っているのか。私たちの不安や恐れ、行き詰まりに対し教会はそれにどう答えるのか。そして、クリスチャン自身がどう生きているのかが問われています。イエス様が罪人や徴税人、遊女や病気・障害を持った人々、社会的下層の民とみられていた女性や子ども、奴隷、寡婦やはみ出し者たちに触れ神の国の幸いを与えられたように、主は聖霊を通して私たちに触れ、無償の救い(ローマ3:24)、苦難が忍耐を、忍耐が生む希望を(5:2)、弱い私たちを助けてくださる霊(826)を与えて下さいます。御聖霊は神ご自身であり私たちと神様とを結ぶ絆であり、イエス・キリストの愛による贖いと救いとを悟らせて下さる霊です。

使徒パウロはローマの信徒への手紙の本文の終わりに、「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。」と祈りで結びました。様々な試練や人間関係の苦しみの中に生きる私たちに、幼い子どものように主に信頼する力を与えるのも御聖霊です。私たちの心の内にこそ御聖霊の注ぎが必要です。

2012年5月27日  (過去メッセージのリンク)





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