「神のわざ」 ヨハネによる福音書6:28,29

来週はペンテコステ(聖霊降臨日)、教会の誕生をお祝いする日です。ご聖霊による教会誕生は、信仰とそのわざが人ではなく、神のわざであることを明らかにしました。主イエスの言葉、奇跡のわざ、示された神の愛と慈しみを弟子たちは余すことなく体験し、主イエス様が神の子であることを信じました。しかし、その信仰はまだ神を中心としたものではありませんでした。

信仰の要はイエス様を生ける神の子キリストと信じることです。主自ら「神がお遣わしになった者を信じること、それが神のわざである。」と証しされました。イエス様の毎日は伝道のために多忙を極めていたと思います。しかし、イエス様は父なる神様との交わり、ご自身をお遣わしになった方との交わりを第一とし、山や静かな場所で父なる神様との深い交わりの時を持っておられました。それがイエス様の力の源であり、回復の秘訣でした。「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」(イザヤ40:31) 神様は御心を一瞬にして完璧に行うことのできる方です。しかし、神様はあえて人とその群れである教会をみわざのために選ばれました。不完全で罪の中に生きる私たちを恵みの福音で覆い、不器用でも手間暇かかっても神様はその御心「子を見て信じる者が皆永遠の命を得ること、その人を終わりの日に復活させること。」を私たちに委ね、主イエスご自身との交わりに招かれました。

イエス様は自分からは何事もできないと語られました。(5:19,30)イエス様がどのような時にも安定し、燃え尽きることなくそのわざを成し得たのは、イエス様がご自分の意思を行うのではなく、遣わしてくださった父なる神の御心を行われたからです。イエス様を探していた弟子や群衆にイエス様は「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ」(ヨハネ6:26)と語られました。目先の満足のために生きるのではなく、聖書が語る御子イエスに触れ、主と認め、求め、頼りとしていくことが霊肉における満足の秘訣だとイエス様は言われます。それは、創造主なる神様を喜ばせる、「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」との命を永らえる私たちの祈りです。

<

2012年5月20日  (過去メッセージのリンク)





毎週礼拝メッセージを更新しています。(過去メッセージのリンク)