母の願い」 マタイによる福音書20:20~28

子どもの健やかな成長を願う親は自分のことよりも子どもの幸せを願うものです。ゼベダイの子、ヤコブとヨハネの母は二人の息子を来るべき時に弟子たちの中でも優位な地位に就かせて下さるように願い出ました。母親の子どもへの愛はある時には愚かなほどの愛にもなり、ある時には真実に導く愛にもなります。

12弟子の中でリーダー格は最初に弟子となったペトロとアンデレの兄弟でしょう。ペトロはイエス様に天国の鍵を授けられました(16:18)。エルサレムに上る頃、イエス様は受難と復活を三度も予告されましたが、弟子たちはその意味が分かりませんでした。記録によればゼベダイの息子たちの母はイエスの母マリアの姉妹であったようです(ヨハネ19:25)。愚かにも、血筋で優位につき、コネを利用して人事の内定を受けようとしたのです。市場経済中心の世の中では、親はそれが子どもの幸せを確約するとは限らないことを予感しながらも子どもが少しでも人より偉くなり、経済的に安定することを願うのも無理からぬことです。

しかし、もう一つの見方もあります。ゼベダイの息子たちの母は、イエス様を十字架の最後まで見守った婦人たちの一人でした。イエス様は彼女の甥であったにも関わらず、ひれ伏して願ったのはイエス様が十字架に死なれるばかりでなく、「復活」される神の子であることを信じたからです。支配者となられるイエス様の側近の座を不動のものとしたかったのです。子を思う母の信仰を感じます。

ゼベダイの息子たちはイエス様が飲もうとしておられる杯、すなわち十字架の苦難と死を理解しないまま「飲める」と答えました。ゼベダイの息子たちのスタンドプレイに他の弟子たちは腹を立てました。「人より偉くなりたい」それは私たち人間の自然な欲求なのかも知れません。しかし、イエス様は言われました。「偉くなりたい者は、皆に仕える者になりなさい。」それは、偉くなるために我慢して奉仕しなさいということではありません。主イエスを信じる者は、自分の命を献げ仕えてくださったイエスと同じように人に仕える者へと変えられていくのだと言うのです。

ゼベダイの息子たちへの母の願いは御聖霊によって成就し、ヤコブは主の福音に仕え最初の殉教者となり、ヨハネは福音書を書き、パトモス島流刑時、黙示録を編纂し、エフェソで十二弟子のうちただ一人長寿を全うしたと伝えられます。

何時の時代も人々は自分の国のための良いリーダーと理念を求めます。イスラエルの人々も、エジプトを

 

2012年5月13日  (過去メッセージのリンク)





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