「光の方に」 ヨハネの福音書3:16~22

 もうすぐ、あの未曾有の震災から一年の時が経とうとしています。いざ、メッセージで何を語らせていただこうかと、祈り、考える時も、どうしてもこのことが頭に浮かんできてしまいます。私たちクリスチャンは、ある意味で、この震災をどのように考えるのか?と問われているとも言えるのではないでしょうか。

 震災で二人の幼い我が子を失った母親が、ラジオである童話に出会いました。ミュージシャンのEPOさんが書き下ろしたシンプルな物語です。身体の弱い馬が、そのことを気に病んでいると、ある日翼が生え、飛べるようになります。そこで見たものは・・・という物語です。母親は、この物語を聞いて、心が楽になった、自分の子供達もきっと天で光に包まれているに違いないと思えるようになった、そう言いました。

 聖書は「信じる者は救われる」と説きます。その言葉があまりに強烈なために、人はつい逆を言いたくなります。神様は「信じる者しか救ってくれないのか」です。私もノンクリスチャンで初めて聖書や教会に出会った時は、そう感じて、しばらく違和感を持っていました。今回の震災や、多くの災害、また、戦争などで多くの人の死を目の前にした時、神様はイエスキリストを信じている者しか天国に連れて行ってくれないのか、と思ってしまうのです。しかし、聖書をよく読んでいくと、それは違うということがわかります。聖書が語りたいことは「信じる者だけが救われる」ではなく、「信じる者は『皆』救われる」なのです。今日の聖書の箇所ヨハネの福音書317節にこうあります。「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」 イエス様は罪ある者に罰を与えにきたのではなく、罪ある者を救ってくださるために光として来てくださいました。

 招詞のイザヤ書にもあります。「わたしの名を呼ばない民にも、わたしはここにいる、ここにいると言った」 神様は、神を知ろうとしなかった者にも語りかけ、光を向けてくださいます。その光に私たちが顔を向けるだけで、皆救われるのです。独り子をお与えになったほどに世を愛された神様です。そんな神様が、こどもたちを光で包んでくださらないはずはありません。私たちは、安心して、光に向かい、光の方へと身を委ねて行きたいと思います。              (高橋寛幸)

2012年2月19日  (過去メッセージのリンク)





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