いいゆだねペトロ第一の手紙Ⅰ 5:12 

世に心配事の種は尽きないと言いますが、問題は心配事そのものではなく任せることができず前に進めない私たちの心にあります。

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配し(かえりみ)てくださるからです。」

神の恵みにゆだねる:どれほど信仰があり、聖書を読み、祈り、教えに従ったとしても主に任せる(ゆだねる)ことができなければ信仰は生きて働きません。「主に任せよ」(新生566)は、“主に任せよ汝が身を、主は喜び助けまさん。なやみは強くともみ恵みには勝つを得じ、まことなる主の手にただ任せよ汝が身を。”と賛美します。「悩み」「思い煩い」は決して神の恵みに勝つことはできないと歌います。「神はわたしの悩みに勝つことはできない」そう思わせる誘惑をペトロは敵である悪魔と呼び、信仰に踏みとどまり抵抗しなさいと励まします(58,9)。また、「イエスにある勝利」(新生583)は「むかし主イエスはカルバリの丘で、世の救いのために命を捨て、その苦しみと尊き血しおでわれら赦されて勝利に生きる」と歌います。主イエスの勝利に生きる、悩んでばかりいないでイエス様が共におられることを信じ喜び今を前向きに生きる時、神に守られていることを確信します。

いっさいゆだねる:ゆだねる(「投げる」の意)ことは、部分的に任せることではなく、全ての権限を神様に渡すということです。不可能を可能に変えるのが神の領分です。キリストを死者の中からよみがえらせた神、私たちを新たに生まれさせることのできる神に任せ自分の領分を生きることだと言えます。それをペトロは謙遜と呼び、神の力強い御手の下で自分を低くする者には神は恵みを与え、良い時に高めて下さると言います。

神の顧みの中で生きる:見返りを求める信仰に留まるのではなく、顧みてくださる(心にかけてくださっている)神に踏みとどまりましょう。神の顧みに生きる時、「悩み」「思い煩い」が軽くなることを私たちは知っています。ペトロはキリストを信じる者たちを「寄留者」「旅人」と呼び、「選ばれた人」と呼びます。生きている限り悩みや思い煩いはありますが、神様はすべての人を主イエスにある救いに招き、選んで(根こそぎ引き抜くこと)、積極果敢にこの世に遣わして下さいます。

2012年1月8日  (過去メッセージのリンク)





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