「あなたたちが渡って行って得ようとする土地は、山も谷もある土地で、天から降る雨で潤されている。」(申命記1111)

毎年、新年の良き日を、「明けましておめでとうございます」と挨拶を交わして来れた恵みを主に感謝いたします。昨年、東日本大震災を受けて、私たちは手放しで「おめでとう」と皆が皆喜び祝えるものではないことを痛切に思い知らされています。その痛手が大きければ大きい人ほど「祝いの言葉」に戸惑われるに違いありません。人生は決して平坦ではないことは皆頭では分かっていますが、いざ自分の身に試練がふりかかる、予想を超える出来事が起こるとお祝いどころではなくなってしまします。それでも何とか勇気と希望をもって困難に立ち向かう人もおられるのは確かです。しかし、聖書は祝福を天から降る雨と語ります。困難ではなく、神に目を向けよ、と言うのです。神より注がれる祝福と約束に留まる人はたとえどんな災いや試練、そして死に遭遇したとしても悲しみに沈み、心が干上がる必要はないと言うのです。使徒パウロは、「わたしたちは知っている。苦難は忍耐を、忍耐が練達(練られた品性)を、練達は希望を生む」と、真の希望は苦難の中に生まれ、そこにキリストの愛が注がれ、希望はわたしたちを裏切らないと語りました(ローマ5:3-5)。そして、「私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。(1コリント15:19)と復活の希望に生きることの重要性を強調しました。復活に希望の基があります。

「それは、あなたの神、主が御心にかけ、あなたの神、主が年の初めから年の終わりまで、常に目を注いでおられる土地である」(12)山も谷もある人生の中で最も危険なのは私たちの心が神のまなざしから離れる時です。それは試練の時ばかりでなく誘惑に陥る時、神様と無関係に生きる時がそうです。「あなたが食べて満足し、立派な家を建てて住み、牛や羊が殖え、銀や金が増し、財産が豊かになって、心おごり、あなたの神、主を忘れることのないようにしなさい。」(申命8:11-14) 戦後私たちはどこか選択を間違って来てしまったようです。新年に向って私たちは御心をかけてくださる主に信頼し従っていくことを選択いたします。

2012年1月1日  (過去メッセージのリンク)





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