「飼い葉桶から始まる平和」ルカ福音書2:1~7

一年が経つのは早いもので、大晦日が目前に迫っています。振り返ると色々なことが今年もありました。特に東日本大震災を通して、私たちが本当に平和な世界に平和に暮しているのか考えさせられました。しかし、そのような中今年もクリスマスがやって来ました。「クリスマスの心」それは華やいだ雰囲気や見せかけの平和の中にあるのではなく、私たちのために最も貧しいものとなられたイエス様とその生き方に私たちが重ねて生きる中にあると言えます。ルカによるイエス様の生誕物語は、理想的な世界、平和な世界にイエス様がお生まれになったのではなく、今日生きる私たちの現実と社会の只中にキリストが来てくださったことを意味します。

 ベツレヘムに登録のために旅したヨセフとマリアはナザレの村から皆と連れ立ってやって来たと思われます。マリアが月満ちた時、宿屋には泊まる場所がなかったことから二人が人々から受け入れられていなかった様子が伺えます。イエス様のお誕生をお祝いしてくれた人は羊飼いたちのような、この世で差別されたり社会でのけ者にされた経験や辛い思いをした人たちだったのかも知れません。徴税人や罪人たちと共にいたイエス様を非難した律法学者たちへのイエス様の言葉は「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」(ルカ5:31)でした。人類の知恵の至宝と言われたアウグスチヌスは「罪」について「どうしても赦されてはならないもの」と定義付けました。すなわち、決して結びつくことができないものを結びつけ和解させるために神様は御子キリストを私たちにお与えになったと言うのです。

  「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。」(ルカ6:37) イエス様の言葉を実行する時、「決して赦すことのできないもの」を赦して下さった神の愛の深さを知ります。羊飼いたちの前で天使たちが「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」(214)と讃美したのは、真の平和が、現実から逃げずに御子キリストを信じ、愛される者から愛する者として生きる者たちによって作られていくことを示しています。

2011年12月25日  (過去メッセージのリンク)





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