「キリストに聞く」 マタイ17:1~5

この箇所はイエス様がペテロとヤコブとヨハネを連れて山に行き、そこで変貌されたという有名な話です。

2節を見るとイエス様の姿がどの様に変わっていったのかがよくわかります。顔は太陽のように輝き、着ていた服は光のように白くなりました。これは栄光で覆われている神であるイエス様の本来の姿なのでしょう。
3節ではモーセとエリヤが現れます。モーセは律法を表し、エリヤは預言を表しています。律法と預言は旧約聖書全体を表しています。ここでこの2人はイエスと一緒に話し合っていました。ここで話されていた内容は、
ルカ9:31を見るとわかるように、イエス様が苦しみを受けられて、十字架にお掛りになる最後の時についてでした。

4節で、ペテロは幕屋を3つ作ると言いました。これは一見良い事のように見えます。しかし、これはペテロがまだイエス様の事をよく理解していなかったことの現われです。ペテロはモーセとエリヤをイエス様と同列に考えていたのでしょう。 

5節を見ると、ペテロがまだ話している間に、「これは、私の愛する子、私はこれを喜ぶ。彼の言う事を聞きなさい」と言葉をさえぎられてしまいました。神様が人の言葉をさえぎるのは非常に稀です。イエス様はモーセとエリヤと同列な方ではありません。イエスに聞くことが必要である事を教えています。

4節には「ペテロが口出ししてイエスに言った。」とあり、ルカ9:33  にはペテロは何を言うべきかを知らなかった。」とあります。ペテロは彼の理解の越える状況を見て、その場に不適格な事を言っていしまったのでしょう。その内容は神様に言葉をさえぎられるようなものであったのです。

私達も時として、ペテロの様な時があります。試練の時、苦しい時、嬉しい時に不適格な願いや思いを祈っている時があるでしょう。私達は問題に対して、あわてて闇雲に祈るのではなく、ここで言われているようにしっかりと聞く祈りをするものでありたいと思います。

2011年11月27日 「生涯をかけて」ルカによる福音書2:41-52 
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