第一の掟「イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である、心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの主である神を愛しなさい。」 第二の掟「隣人を自分のように愛しなさい。」

 イエスはエルサレムに乗り込み、祭司や律法学者たちに論争を挑みました。これが、十字架への道となることをご存知の上で、、、。

 イエスの言われたことは、信心深いユダヤ人なら、「十戒」という返事を期待していたところへ、モーセの別の律法の言葉を引用されたのです。それが申命記6:5(神の愛)とレビ記19:18(隣人愛)でした。 愛がイエスによって再確認され新しい掟となったのです。その意味は、神への愛と隣人への愛をどう実行するかを考えるよう私たちにお命じになったのです。神への感謝のしるし、愛のしるしとして、隣人を愛せよとの掟を示されました。 

ここで思い出されるのが、「善いサマリア人」のたとえ話です。(ルカ10:25~37)追いはぎに襲われたユダヤ人が、半死半生で道に横たわっていたところへ来た、神に仕える祭司とレビ人は避けて通り、後から来たサマリア人がそのユダヤ人を介抱し助けたという話です。 またイエスは山上の教えで、「わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい、あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせて下さるからである。」(マタイ5:44~45)

 しかし、現実日々の暮らしの中で、夫婦・親子・友人・学校・職場など人間関係

の中で、憎しみあったり、敵対しあったりすることがよくあります。そういう場合、相手を疎んだり、憎んだりするのではなく、神によって生み出された人として見るのです。わたしたちと同じように、神の愛により、太陽の光と雨とを受けている人と見るのが、信仰ある人の態度なのです。 その態度こそが、神を愛する行為につながるとイエスは教えてくださったのです。ヨハネは言いました「いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神は私たちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。」(1ヨハネ4:12

2011年10月30日「最も重要な掟」 マルコ12:28~34 
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