「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい(とどまりなさい)。」

 私たちクリスチャンは主の愛にとどまり続け、愛に生かされ、互いに愛しあう必要があります。私たちと神様との関係は愛で現されます。

 ヨハネ15:5に「わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。」とあります。もし私たちが主の愛のうちにとどまっていないならば、例え多くの事を成し遂げたとしても、それはただ自分のやり方で事をこなしているのであって、神様から喜ばれるものではないのです。

 主と愛の関係がある者が神様に喜ばれる奉仕をし、神様に喜ばれる隣人愛を持つことができるのです。そして、私たちが互いに真実な愛で愛し合うならば、多くの人が神様を知り、救われていきます(13:34-35)。

 私たちは耐えず自分が主の愛にとどまっているか、確認しなければなりません。耐えず覚えていなければ、すぐに神様の愛から離れてしまうからです。

 主を愛するという戒めはとても重要なものです。神様の命令である律法を簡単に分けると、2つのことを言っています。それは神様を愛することと、隣人を愛することです。どちらも大切なのですが、私たちは時に、ちゃんとしよう、失敗しない様に生きよう、間違えない様に、裁かれない様に、恥をかかないように、といった事に心が捕われ、熱心に神様を愛し続けることにおいては、そこまで注意を払わな

いことがあります。

 主は私たちのことを命を捨ててまでも愛してくださっています。そして、私の愛にとどまりなさいと言われるのです。能力を求めているのではありません。私たちの信仰のゴールはスーパークリスチャンになることではありません。神様が求めているのはただ、互いに愛し愛される関係なのです。

 私たちは無償の愛の絆で、神と隣人とともに生きる者でありたいと思います。

2011年10月6日 「御心に添う祈り」 ヨハネによる福音書15:1-9
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