「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。」(1226)

 グローバルな時代となり、昔と違って一つの国で起きたことは良くも悪くも世界中に大きな影響を与えるようになりました。2000年前ギリシャの商業貿易の拠点であったコリントは、東西は水路、南北は陸路の交差するところ、文化や人種のるつぼとも言える場所でした。新しく生まれた教会には多種多様な人々がいました。しかし、パウロは福音を伝えるために皆が同じになるのではなく、主につながることによって違いがある現実を認めて、互いに仕え合うことを願いました。

神様は神様の救いのご計画に従ってイエス・キリストにあって霊的賜物(カリスマ:神の恵みの贈り物)を与えてくださいます。この世の差別や不平等の現実に交差するように、教会はキリスト・イエスを頭に一つの体として立てられています。「イエスは主である。」(123)との聖霊による恵みの告白が教会を一つにし、この世と区別(上から目線ではなく、何が異なっているのかを示)し、逆にキリストのようにこの世に仕える者、パウロの言う「だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になる」者、共に福音にあずかる者とします(919)。自分自身の無力さを認め主にすがる時、主ご自身からの力が注がれます。主に委ね主の前に祈りと願いと感謝を携えて集う時、多種多様な賜物が生かされ主ご自身が証しして下さいます。キリストの「死」からの復活、「朽ちるべき者が朽ちない者に変えられる。」(1552)良き知らせが働き始めると言えます。

賜物の基礎であり原動力となるのが「神の愛」(131-13)です。私に、どんな素晴らしい業や働きがあっても愛がなければ何の益も無いどころか、きっと自分の努力に疲れ燃えつきてしまうに違いありません。愛は、神様によって満たされつつ、神様中心に他者の側に立ってつながり続けながら必要なことを行うことです。相手や周りから誤解を受けることも嫌われることもあるかも知れません。強い人も弱い人も、小さい者も大きい者も主にあって価値ある者とされていることを喜んで自分の賜物と遣わされた場所とを大切に世と人とに仕えて参りたいと願います。

2011年10月9日 「多くにして一つ」 コリント12:12~26
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