ヘブライ人への手紙は、キリスト教の母体となったユダヤ教に精通した人が、当時のギリシャ文化や思想世界に生きていたヘブライ人(ユダヤ人)クリスチャンに宛てて書かれたものと言われます。紀元70年のユダヤ戦争におけるエルサレム神殿崩壊前の文書と言われます。慣れ親しんだユダヤ教に逆戻りし、律法を守り儀式によって自分の罪清められて生きようとするユダヤ人クリスチャンに向け、「更にすぐれた」救いがキリスト・イエスにあることを伝えました。

9月は日本バプテスト連盟の教会学校月間です。その目的は、「その活動を通して、すべての人(全年齢層)がイエス・キリストを信じる信仰告白に導かれ、教会を形づくり、生の全領域において主に聞き、主を証しする生活を確立していくことにある。」(1999年改定)です。教会学校は知識や教養を身につけるところではなく、イエス・キリストの福音の知識を知り、神の救いの知恵を学ぶところです。そして、「わたし」一人の救いではなく、全ての人の救いのために、共にキリストの体を建て上げていく共同体です。その中心は救い主キリストです。

イエスの血(命)によって聖所に入ることができる。手紙は、「供え物といういけにえが献げられても、礼拝をする者の良心(内なる魂)を完全にすることができない。」、けれども「キリストは・・御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。」(99-12)と宣言します。バプテストは信徒(レイマン)による教会形成、伝道を大切にします。神が主であり、それぞれのタレント(霊的賜物)と役割を明確にした神の前における対等平等の中に生きます。

イエス・キリストを信じる者は心身ともに清められています。だから、真心から神に近づいて良いのです。清められているとは心のとがめ、やましさが綺麗に洗われてしまってしみ一つなくなっているという現在完了形で現されています。

互いに愛と善行に励むように心がけ・・集会を怠らず、励まし合いましょう。金沢教会のモットーは「ゆっくりぼちぼち無理せず楽せず」と聞いています。励むことは頑張ることではありません。不誠実になりやすい私たちが、「約束してくださった真実の方」(1023)、御自身の約束を忠実に守る方に信頼して生きることです。救われるためにではなく、恵みによって救われたからこそ、その愛に生きることを学び分かち合う所、共に成長する場所が教会学校です。


2011年9月4日 「共に育つ、教会学校」 ヘブライ人への手紙10:19~25
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