5000人の人々に、2匹の魚と5つのパンで満腹にさせたこの箇所はあまりにも有名ですが、このような奇跡はどうして起こったのでしょう。

少年が自分の精一杯の捧げものをしたから、それを神様が何倍にも何十倍にも、いや何百何千倍にも用いて下さったのだ。という人もあり、少年の精一杯捧げる姿を見て、群衆それぞれが霊に満たされ、自分の持っているパンをみんなのために捧げたので、そうしたことが起こったのだ。などと言う人もあります。

私たちには多くの願いがあります。各個人にも各家庭にも様々な願いがあると思いますし、青葉キリスト教会には、会堂建築という大きな願いがあります。私たちの願いが5000人に対して2匹の魚と5つのパンで満腹にさせなくてはいけないような大きな願いであればあるほど、「奇跡が起こって欲しい」と願うものであります。

しかし、私たちの奇跡とは、単なる願いが実現する。物欲が満たされる。そうしたご利益とは全く異質なものであると思います。

私たちの願い、祈りは時として全く違う形となって私たちの前に現れます。それが自分の希望とはまるで違う形であったとしても、神様のなされることは時にかなって美しく私たちに新たな奇跡として実現していくのです。

私たちが自分のあるがままで、そして己を空しくして神様にすべてを捧げていくときに、思いもかけない奇跡が私たちの前に現れてくることは間違いのないことなのです。2匹の魚と5つのパンのこの奇跡は、青葉のこの地で新たな会堂を作り、そして伝道していこうとする私たちにも起こり得る「奇跡なのであります。

2011年8月21日 「奇跡は今でも起こりますか?」ヨハネによる福音書61-15
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