明日66回目の敗戦記念日を迎えます。私たちは、戦争で傷ついた人々への主にある癒しと慰めを祈るだけでなく、現代社会がどのような歴史と事実の上に成り立っているのかを検証する必要もあります。そして、クリスチャンにとって大切なことは、神が主イエスによって神と人とを隔てていた罪(戦いや争いの原因)の壁を取り払い、神と人との間にあった戦いに終止符を打たれたことを覚え、悔い改めの時とすることです。

イエス様は、山上の説教の中で「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイ5:9)と言われました。ルターは、クリスチャンを「小さなキリスト」と表現し、イエス様の言葉を「ただ単に、平和な人々というのではない。ここで一つの良い言葉を持ち込み、かしこでよい言葉を語りというふうに、平和を造り出そうとする人々のことである。」と解釈しました。

主イエスを信じる者は平和の福音のために遣わされます12弟子を派遣した(91)後、72人を任命し(101)とありますが、主イエスは今も、御自身が行くつもりのすべての町や村に私たちを平和の使者として遣わしておられます。弟子たちは麦の実りを目にしつつも不安な中、出発したのかも知れません。しかし、彼らは主の言葉が本当のことと知り、喜んで帰って来ました。(1017)

福音を告げる者たちは、この世から見れば小羊のように弱い者のようでも、神によって保護され必要に満たされるとイエスは語られます。財布も袋も持たず、履物も持っていくなとの指示は、信仰をもって踏み出さなければ分からない神の臨在体験への導きです。旅の目的を見失わないことが大切です。

 平和の挨拶は「平和の子」を見出します。挨拶という言葉には「抱擁」の意味があります。平和の挨拶はキリストを通して示される神の抱擁です。神と人との仲介者となられた神の子イエスは、神の愛に応答する人を「平和の子」とし、自らも他者を抱擁し、神の抱擁の中に導く働き人となります。社会にある問題や争いの中で執り成して生きる人々にも、そうでない人々にも平和の挨拶は新しい生き方を創造します。大切なことは「平和」が生きておられるイエス・キリスト自身であり、平和の君キリストにあって与えられるということです。

 

2011年8月14日 「平和の子」 ルカによる福音書10:1~6
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