聖書は信仰生活には試練があると語っています。しかし、私たちは実際試練
が与えられると動揺したり、憤慨したりします。多くの試練を通して私たちの
信仰は成長する事を覚えたいと思います。
6節に「…さまざまの試練の中で、悲しまなければならないのです…」とあ
ります。私たちにとって、試練を通ることはとても喜ばしいものではありませ
ん。しかし試練は私たちを成長させ、信仰に生かすためにあるのです。
私たちが言う「生きる」は、平穏無事に好き勝手にやる事ではありません。
もし試練がなく、すべてが順調で、すべてが簡単に与えられたならば、私たち
は神様を求め続けられるでしょうか。神様と自分の関係を真剣に考えたり、信
仰生活について神に喜ばれているかどうか考える事をしないかも知れません。
私たちは滅びに行くよりも、試練の中で神様を求める信仰を与えられる方が
幸いです。試練が与えられるのは、神様の臨在と恵みから私たちが出て行かな
いようにと、神様が導いていて下さっている証拠です。苦しみから解放された
人生を歩んだとしても、結果神様から離れ滅んでしまうなら、非常に残念な事
です。
7節には「信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く…」
とあります。私達の信仰は精錬される必要があるのです。クリスチャンになって
も私達は直ぐに純粋な信仰を持つのではありません。
ある人は瞬く間に成長していきます。また、ある人は何年も同じことを繰り
返し続け、成長が遅い時があります。違いは何でしょうか。それは、その人が
ひとつ一つの試練から学んでいるかどうかによります。(詩篇119:71)
試練を与えるのは神様です。神様が試練を私達に与えるならば、神様が責任
を持って最後まで導いてくださいます。私達は神様から忍耐を与えられて見事
にイエス様のように成長していく事を願いましょう。(ヤコブ1:2~4)
川口竜太郎師
2011年7月17日 『試練を通して、純粋な信仰に変えられる』 ペトロの手紙第一1:3~7 (過去メッセージのリンク) |
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