『恐れることはない』  詩編46:1~12

・詩編46編11節の他の日本語訳。

 「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」(協会訳)

 「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。」(新改訳)

 「よく聞きなさい。わたしこそ神であることを、思い知りなさい!」 (リビングバイブル)                                 
 「汝等、静まりて 我の神たるを知れ。」(文語訳)

・歌というものは、その時代を写し出すものです。戦時中は、その時代に相応しい?歌が歌われ、平和な時代は、明るい希望に満ちた歌が歌われます。

・讃美歌538番は、マルチン・ルター作詞作曲の讃美歌で、詩編46編がもとになって作られた良く知られている讃美歌です。

・詩編46編が作られた背景は、どのようなことがあったのでしょうか。諸説ありますが、その一つは、紀元721年に北王国イスラエルは、アッシリアに滅ぼされます。その後、南王国ユダはヒゼキヤの時代に、アッシリアのセナケリブ王の大軍に攻められ存亡の危機に遭遇します。伸るか反るかの危機です。そのようない状況下にあって、神の助けを得てその危機から脱出するのです。

(列王記下18~20章参照)

・その事を覚えつつ、詩編46編の作者は神の御声を聞くのです。『力を捨てよ、知れ、私は神』(11)と。

・私たちの神はどのような神なのでしょうか。「神様は私たちの隠れ家、また力、そして苦難にあえぐ時の確実な助け」(1リビングバイブル)なのです。

だから作者は「わたしは決して恐れない」(3)と断言して憚らないのです。

・私たちの日々の生活は、恐れることや「戦い」(10)の連続です。でも、

弱い私たちに力や、慰めや、助けなどを与えてくださる「万軍の主は(いつも)わたしたちと共にいます」(8.12.)のです。イスラエルの民に「わたしは神」と語られる神は、私たちにも語られています。「わたしは神」と。原語では、「神である」の言葉の前に<私こそ>という短い言葉が挿入されています。

その神は、このようにも言われます。「力を捨てよ」と。この言葉を口語訳と文語訳は、「静まって」、リビングバイブル訳は、「よく聞きなさい」と訳しています。一般的には「捨てる」とか「(手を)離す、引く」「止める」と訳される言葉のようです。

 神は言われます。「自分の考え、自分の力、自分の経験などに頼りすぎるのは止めなさい」と。 どんな時も、どんなことでも、神が働いてくださる時と場所は備えておかなければなりません。生の主権を、それが自分の生でも、自分で握ろうとしてはなりません。生の主権は神にあるのです。だから恐れることはないのです。                                 (田中仁一郎)

2011年6月26日 「父の役割」 創世記27:18~29 (過去メッセージのリンク)





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