医学的に、人間は褒められると脳内ホルモンが分泌し、肯定的な言葉は褒められた人だけでなく、褒めた人自身に対しても作用し、自律神経が活発化するそうです。そう言えば、私は子どもの頃、特に父親から褒められたりすると有頂天になった覚えがあります。子どもは何より両親から褒められるために生きてるようなところがあります。最近封切られた映画「奇跡」(是枝裕和監督)に寄せて詩人の谷川俊太郎さんがコメントを寄せていました。「大人は毎日を生活しているが、子どもは今を生きている。それがすでに奇跡なのだと、信じる力を私たちは持っているだろうか。」大人も自らが生かされている奇跡を知る必要があります。

 「祝福」は神の一方的な愛により与えられる恵みです。創世記によれば、天地創造の業は神により祝福によって始まっています。“神はそれらのものを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」”122。しかし、バベルの塔の出来事以来、人は神の祝福とは裏腹に散らされて生きる存在となりました。神は人々の中からアブラハムを選び、祝福して言われました。「あなたは生まれ故郷を離れてわたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にしあなたを祝福し、あなたの名を高める。」121。信仰によって、アブラハムは約束の地に住み、同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました。彼は失敗や弱さはありましたが、どんなことがあっても神を信じ、神の祝福に生きる信仰の人でした(ヘブライ11章)。
「父の役割は子どもを祝福すること」イサクは二人の子ども、エサウとヤコブに恵まれました。しかし、イサクはエサウを愛し、妻であり母であるリベカはヤコブを愛しました。そして、跡継ぎ問題で事件が起こります。リベカとヤコブは老境に達したイサクをだまし、長子の権利を奪ったのです。聖書は現実離れした物語ではなく、今日の家庭でも起こり得る問題と向き合います。ここでは、倫理道徳の良し悪しが問題なのではなく、「神の祝福が恵みであるのと同時に、その祝福が峻厳なものであること」そして、「神はその祝福を信仰を通して受け継がせてくださること」を教えます。完全な父親などいませんが、完全であられる神は祝福してやまない神です。そして、父なる神とその御子イエス・キリストを受け入れる時、神の祝福は私たちを変えていきます。子褒めも大事ですが、子祝福が大事です。私たちは「祝福を受け継ぐために召されているのです」(1ペトロ3:9)

2011年6月19日 「父の役割」 創世記27:18~29 (過去メッセージのリンク)





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