2011年4月17日

<巻頭のことば>「受け入れる信仰、数える信仰」 マルコ4:1~8、13~20

ある学習障害を持った方が、母親から受けたある言葉に、とても勇気付けられたと言います。『新幹線に乗っていたのでは見ることができない景色が、鈍行列車に乗っている人は見ることができるんだよ』・・神様はまさにこういう方ではないでしょうか。神様は、すべての人を新幹線に乗せてくれる方ではありません。鈍行列車に乗せられる者もいれば、徒歩という手段しか与えられない者もあるでしょう。しかし、その自分に与えられたものを感謝して「受け入れる」時、神様は必ず、その人にしか見ることのできない、素晴らしい景色を用意してくださる。そんな方だと思います。

御言葉という種が落ちる土地の喩えを、イエス様は語られました。百倍もの実を結ぶ良い土地とは『御言葉を聞いて受け入れる人たち』だと仰います。しかし、御言葉を受け入れるというのは、ただ耳触りのいい御言葉だけを我がものとすることではありません。御言葉の中には試練や苦難は必ずあると語られています。それをも受け入れる時、はじめて何十倍、何百倍もの実を結ぶようになると仰るのです。

「受け入れる」ことは、恵みの必須条件ですが、それだけでは受け身な信仰で終わってしまいます。私たちは、「受け入れる」ことから一歩踏み出して、神様から与えられているものを「数える」信仰を持っていきたいものです。見ようと思わなければ見えない、気付けない恵みがあります。

『進んで行う気持ちがあれば、持たないものではなく、持っているものに応じて、神に受け入れられるのです』(2コリント8:12 恵みを進んで数えて行く時、たとえ小さなものしか持っていなくても、神様はそれを受け入れ、用いてくださいます。

(高橋寛幸