2011年4月3日

「一緒に行こう」 マルコによる福音書1:16~20

 
東北関東大震災から三週間経った今でも被害の全容はわからず、原発事故の終息がいつになるのかもわかりません。しかし、少しずつ安否不明の方々の捜索、緊急支援から復興への救援活動が続けられています。私たちは、地震発生時より被災した方々の上に平安と慰めとを祈ってきました。今回の地震体験者に共通した心情があります。それは「誰か一緒にいて欲しい」ということです。「慰め」は英語でCon-solation(一人の人と共にいること)とも言います。痛みや傷を取り除くことそのものではなく、共にいて分かち合うという意味です。被災したすべての方々と共に主がいてくださることを祈るばかりです。

 マルコ福音書は他の三つの福音書のうち最も早く執筆されたと考えられており、一番短くまとめられています。大きな出来事が起きた時は新聞社から「号外」が出されることがあります。マルコは伝道旅行の際、イエス様の弟子であったペトロにも、復活後に顕現されたイエス様に遭遇したパウロにも同行し、その福音とその真理を世に一国も早く速報したかったのでしょう。マルコ福音書の焦点は、「イエス・キリストが神の子」であり、十字架の死からの復活者であることです。168節までが古い写本とされ、その物語は唐突に終わります。しかし、そこにマルコが神の国の到来を告げる現実性と信憑性があります。

 バプテスマのヨハネによって始められた宗教改革、すなわち犠牲の捧げ物によるのではなく、「罪の告白」と「悔い改めのバプテスマ」による救いは、ユダヤ全地方とエルサレムに広がりました。領主ヘロデにヨハネが捕らえられたことを知り、イエスは寒村ナザレから出て偏狭の地ガリラヤから宣教を開始されました。「すぐに」(1:18,292:12・・)という言葉を多用し、マルコは物語を急ぎます。イエスが成された業は多く記しますがイエスの言葉は多くありません。しかし、受難への道のりには三章を裂き、イエスがバプテスマのヨハネの後に来る救いの完成者であることを彼は簡素にしかし力強く記録しました。ガリラヤから始められたイエスの宣教は、双六のようにガリラヤに戻ります。「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』」(16:7) イエス様はペトロたちと同じように、神の国の到来の知らせを世に知らせるために「一緒に行こう」とあなたを呼んでおられます。主イエスを救い主と信じる人は皆献身者であり弟子であり、イエス様によれば一緒にいる友(ヨハネ15:15)なのです。ペトロたちのように「すぐに」従っていく者となりたいものです。