2011年3月27日

 「ひるまない」 ヘブライ人への手紙10:35~39


教会の暦で、今年のイースター(復活祭)は4月24日となります。既に受難節に入っていますが、ちょうど降誕節を終え、受難節に入る週末の11日(金)、東北関東大震災が発生しました。その一日を境に、今までとはまったく違う、想像や想定を遥かに超えた現実が私たちを支配しようとしています。しかし、そんな惨状の中で、新しい命が誕生していることを私たちは聞いています。悲惨な現実と並行しつつ主の御手の中にある命の営みは確かに続いている。その事の中に不思議な神の慰めを感じます。イエスは言われました。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。」(マルコ4:26)。そんな静けさの中にある神の力が日本の新しい復興には必要ではないでしょうか?、内なる新生が日本には必要だと思います。地の塩、世の光として教会は、キリスト者は問われています。

私たちは、ひるみません。どんな出来事の中にも神の慰めがあるからです。主イエスは、「空の鳥は種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない、野の花も働きもせず、紡ぎもしないが美しく装ってくださる」と、思い煩う者たちを慰めてくださいます(マタイ6:26)。聖書の言う「慰め」(パラクレーシス)には同情だけでなく、励まし、勧告という意味もあります。神の慰めは、人を立ち上がらせ、困難や苦難に立ち向かう力を与えます。私たちが主の復活をお祝いし、伝道するのは、復活の主が送ってくださる聖霊(パラクレートス)である慰め主、弁護者、援助者が、不条理で矛盾したこの世界に既に与えられていることを知っているからです(ヨハネ16:7)。

私たちは、ひるみません。私たちは、ひるんで滅びる者ではなく、信仰によって命(魂)を確保する者だからです(ヘブライ10:39)。ヘブライ人への手紙は、主イエスが、聖なる神と、私たちをつなぐ絆、仲介者、大祭司であることを告げます。神が御子イエスによって世界を創造された(1:2)と言う以上、御子イエスはその世界の全てを知っておられます。創造された世界の素晴らしさも、その世界の中で生きる苦難も知っておられます。そして、神と人との間にある「断絶」の現実に主イエスは向き合い、身をもって生ける犠牲の大祭司となってくださいました(2:1718)。

私たちは、ひるみません。自然の万象にも、人災の、目に見えない脅威の前にも、御子を下さるほどの主の愛と憐みが注がれ、救ってくださることを信じます。「主は恵みに富み、憐れみ深く、忍耐強く、慈しみに満ちておられます。主はすべてのものに恵みを与え造られたすべてのものを憐れんでくださいます。」(詩145:8,9)