2011年3月13日

「岩の上の教会」 マタイ福音書161320

「岩の上の教会」 マタイ福音書161320

先週、思いもよらぬ大規模な地震が広範囲に、連鎖的(科学的根拠は別として)に起こりました。多くの死傷者、行方不明者が出て、甚大な被害、原発事故に起因する二次災害の行方も懸念されています。また、ご家族や親類関係に安否が未だに分らない方々もおられます。私たちには情報を把握し、判断し、危機に対応していくことが求められます。同時に、今、私たちは静まることの大切さを聖書に聞きます。詩編62:1~3「わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう。神にわたしの救いはある。神こそ、わたしの岩、わたしの救い、砦の塔。わたしは決して動揺しない。」 詩編116:1,2「わたしは主を愛する。主は嘆き祈る声を聞き、わたしに耳を傾けてくださる。生涯、わたしは主を呼ぼう。」とあります。危機的状況の中で詩人は、主が聞いて耳を傾けてくださるから、祈り、主を求めると心に決めます。今、私たちは刻々と知らされる災害の被害状況を前に、主に信頼して祈るばかりです。

ペトロは、人々がイエス様のことを色々言う中で、意味も分らず「あなたはメシア(救い主)、生ける神の子です。」と告白しました。それを言わせたのは、神であるとイエスは言われます。災害という危機は人間の無力さゆえに神への不信や疑問を抱かせてしまいますが、同時に命の大切さ、当たり前の生活の大切さ、家族や友達、隣人があることの有り難さを私たちに教えてくれるのも事実です。また、寄り頼むものが何であるかもあらわにします。信仰と、頭で理解して信じていることとには大きな違いがあることに気が付かされます。

ペトロは手紙の中で、「あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(1ペトロ5:6,7)と言いました。御子イエスをさえ私たちの罪の贖いのために差し出してくださる神が「味方」(ローマ8:31)であることを信じ、危機の中で、主に信頼しへりくだって、願いを聞いてくださる神に祈り行動することが大切です。神の前にへりくだる信仰はすべての事を解く鍵、陰府(死の世界)も対抗できないとイエスは言われます。「哀れな人を守ってくださる主は弱り果てたわたしを救ってくださる。わたしの魂よ、再び安らうがよい主はお前に報いてくださる。」(詩編116:5-7)主イエスにある救い、憐みと恵みを信じる信仰を土台し教会を建てて参りましょう。