2011年3月6日

「新しい掟」 列王記下22813


世の中が危機に見舞われると改革が求められるようになります。イスラエルの国はダビデとその息子ソロモンの治世に繁栄のピークを迎え、その後、隣国や大国の台頭によって次第に弱体化し、分裂し、滅びに向かいました。列王記をはじめ、預言者たちはその原因は王や民の、神に対する背信の結果だと説明します。しかし、歴代のイスラエル王国(南北合わせ)の王たちはヒゼキヤ王やヨシヤ王を含め39名中8名しか主なる神に従うことはできませんでした。残されたユダ王国を改革したヒゼキヤの努力も引き継がれることなく、息子マナセや孫アモンの背信で元に戻ってしまいます。曽祖父ヒゼキヤの改革を引き継いだヨシヤ王は8歳から31年間王位にあったと言います。彼の改革には新しいものがありました。

第一に、民の捧げ物を正しく用い、工事責任者を信頼し、神殿再建を行いました(22:3~7)。ヒゼキヤ王は歴代の王たちが成し得なかった偶像の聖なる高台や石柱を取り除き、危機と向き合いました。ヨシア王はそればかりでなく自らの信仰を神殿修理を通して具体化し、大祭司や責任者たちを信任することによって内側から強めていきました。私たちも教会生活信仰生活を通して信仰を働かせ、互いに信頼し合い仕え合うことが大切です。「キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。」(エフェソ2:21) 

第二に、すべての民と共に、発見された神のみ言葉を読み聞かせ、契約をし、主に従って歩み、心を尽くし、魂を尽くして主の戒めと掟を守り、その言葉を実行することを誓いました。(23:13) そして、偶像を取り除き、未だかってない主の過越祭を行いました。(23:21) ヨハネ福音書は冒頭から、過越祭を前にイエス様が暴力的に神殿の境内で商売をしている人々を一掃された事件を記します。その背景には、「罪の贖い」を商売としていた人々の背後にあった利権者たち、祭司長、律法学者たちへの警告と、イエス自らが贖いの供え物となる預言とが込められていました(2:13)。神殿再建とはイエス様ご自身の十字架からの復活のことです。

ヨシア王の改革にもかかわらず、主の怒りは背信の王、ヤラベアム、アハブ、マナセたちゆえに王国に臨み、ついに最後の王ゼデキヤの時、エルサレムは陥落しイスラエルの民はバビロンに連れ去られます。これでは因果応報ですが、主は見捨てられたかに見えたダビデの王国を、一方的な神の憐みによって回復へと導かれました。主イエスの新しい掟「互いに愛し合う」(ヨハネ13:14)にこれからの時代にこそ必要とされる改革のヒントが隠され、信じる者にその真価が問われています。