2011年2月27日


今、私たちは目まぐるしく変わる世界に生きています。インターネットという技術が、何年何十年もかかる変革を一夜と言えずとも短期間で世界中にもたらすことをわずか数週間で私たちは体験しています。2000年前、キリストを信じた人々はローマ帝国によって大迫害を受け、紀元70年にエルサレムは陥落、ユダヤ人そしてクリスチャンは世界に散らばりました。しかし、一粒の麦としての信徒たちは試練に遭いながらも各地で芽を出し、成長し、人をそして世界に変え続けました。

聖書によれば、神の国で頼りとされている宝は「試練」です。「銀よりもむしろ、わたしの諭し(新改訳では“懲らしめ”)を受け入れ、精選された金よりも、知識を受け入れよ。知恵は真珠にまさり、どのような財宝も比べることはできない。」(箴言810,11)この世の頼りとなる宝は目に見え朽ちていき、無くなっていくものです。しかし、神が私たちに計り与えてくださる試練には理由と目的、そして期限があります。パウロはまた「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(1コリント10:13)と試練は神の支配のもとにあることを証しします。

ペトロは、神に信頼して生きる時に試練があると明言します。しかし、それは信仰が本物である証明となり、朽ちる金より尊いものであると言います。(17)ペトロが神殿に上り午後の祈りを捧げる時、足のきかない物乞いの男に出会い、与えたものは金銀ではなく、イエス・キリストにあって立ち上がって生きる新しい人生でした。「人々はそれを見て驚きあきれた」(使徒31-10)と記録されています。

ヤコブはまた「わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。信仰が試されることで忍耐が生じると、あなたがたは知っています。 あくまでも忍耐しなさい。そうすれば、完全で申し分なく、何一つ欠けたところのない人になります。」(12-4)と信仰の実である魂の救いを受けていることを先に考えることを進めます。忍耐はそこに着いて来ます。

イエス様の約束があります。「あなたは忍耐についてのわたしの言葉を守った。それゆえ、地上に住む人々を試すため全世界に来ようとしている試練の時に、わたしもあなたを守ろう。わたしは、すぐに来る。あなたの栄冠をだれにも奪われないように、持っているものを固く守りなさい。」(黙示録310,11)目まぐるしく移り変わる世界ですが、試練と共にいてくださる主に信頼し歩んで参りましょう。