2011年1月31日

 「魂の錨」 ヘブライ人への手紙6:13~15

「神は、アブラハムに約束をする際に、御自身より偉大な者にかけて誓えなかったので、御自身にかけて誓い、『わたしは必ずあなたを祝福し、あなたの子孫を大いに増やす』と言われました。」(6:13)

大きな困難に直面した時や不可能に思える願いを持つ時、私たちに必要なものは、「祝福の約束」と、神御自身が御自分を指して誓われた「不変の誓い」を信じて、願いの実現を忍耐強く待ち続けることです。確かな信じられる保証人がいれば私たちはどれほど大胆に人生の事業に立ち向かえるでしょう。自分の願うことが願った通りになってから信じることは信仰ではありません。自分の願いの本質が神に聞かれたと思うほどに信じて祈ることが大切です。願うと同時に信じるということが生じることを知る必要があります。アブラハムが神に喜ばれたのは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認(111)したからです。主イエスは、「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。(ヨハネ8:3132)と語られました。

信仰は、救いの創始者イエスが最初に語られた福音を真実とし、その最初の確信を最後までしっかりと持ち続けることです(ヘフライ゙2:33:144:14)

アブラハムは最大の試練、子孫が絶たれてしまう危機、独り子イサクを捧げよとの神の試みの時に、神に信頼し従って約束のものを手に入れました(6:15)。主イエスは、民の罪を償うためにすべての点で民と同じようになられ(2:17)、御自分を死から救う力のある方に祈りと願いとをささげ(5:7)、ただ一度、御自身を私たちの罪の贖いとして捧げられました(7:27)。その福音そのものが神の誓いでした(7:28)。

この、主イエスにある「祝福の約束」と神ご自身を指して誓われた「不変の誓い」が、福音を信じる者たちの励まし、「神が偽ることはありえない(618)」という決定的保障です。その希望は、「私たちの魂にとって頼りになる、安定した錨のようなもの」で、私たちが大胆にイエスの名によって神に近づける者となった証しでもあります。「自分の確信を捨ててはいけません、大きな褒美があるからです。それを受けるためには忍耐し(信じた神に立ち)続けること」が肝心です(1035,36)