2010年11月7日


「つながって生きる」 ヘブライ人への手紙11:1~7

「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。」

本日の礼拝は、召天者を記念して行います。本日の手紙は、信仰にある遺族(英語でsurvivor)に宛てて書かれたものと理解することができます。神を信じて生きた人たちの生き方を通して神の恵みを見、励ましを受け、神を讃美いたします。

イエス様ご自身とその約束につながる。イエス様の「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。」(ヨハネ15:4)「つながる」という言葉は、「残る、留まる」という意味です。オー・ヘンリーの短編に「最後の一枚の葉」という小説があります。ジョンジーという重病を負った絵描きの女の子が自分の命を外壁のつたの葉っぱに見立て、最後の葉とともに自分も死んでしまうと思い込んでしまいます。しかし、同じ絵描き仲間でうだつの上がらなかった老画家ベーアマンの最後の傑作によって希望が与えられジョンジーは助かります。描かれた最後の一枚の葉はしっかりとつたにつながっていたのです。パウロは人間はおろか、被造物すべてがイエスによる贖いの希望によって救われている(ローマ8:24)と言います。希望が私たちを神につなぎます。

「感謝」によってつながる。「わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう。感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えていこう。」(ヘブライ12:28) 先日、教会の姉妹が沖縄に行き、ある児童養護施設を訪ねた時の出来事。そこで、出会った子どもたちにイエス様による罪の赦しと神の愛を分かち合った時、被害を受けた側の彼らが自分自身の罪を認め、加害者である親を許しイエス様を救い主として信じたという報告を受けました。大好きな親、しかし自分に害をもたらした親に向かう複雑な心情、傷・痛み。手紙は、キリストが一度だけ、完全に私たちのすべての罪のために犠牲として捧げてくださったと証言します。(9:27,28) 感謝は願いや祈りの先取りですが、神の保障があって与えられるものです。

「きりすと われにありとおもうはやすいが われみずから きりすとにありと ほのかにてもかんずるまでのとおかりしみちよ きりすとがわたしをだいていてくれる わたしのあしもとにわたしがいる」八木重吉の詩です。「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」(ヘブライ13:5)と言われる神、そして、イエス様は約束しておられれます。見えない世界に移された愛する人々について、私たちが心配することはありません。しかし、残された者として神の救いのご計画を信じ、真心から神に近づくことは私たちが遺族としても相続者としても生きる上で必要で大切なことです。