2010年8月1日

「信頼の祈り」詩篇23編


詩篇21編は神の恵みに対する感謝の歌、そして22編は一転して主イエスが十字架上で叫ばれた言葉を思い起こさせる「受難の詩」と続きます。詩篇は、神を信じ、格闘した人々の赤裸々な信仰告白の集合体と言っても良いと思います。続く、23編は「詩篇の真珠」と呼ばれる美しい情景をともなう賛美歌です。

「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。」

*祈りは、神様との信頼関係を生みます。

自然環境の厳しい場所で生きることは、主に頼ることしかできないことを民に教えました。イスラエルの民は、自分たちを羊にたとえ、一人では生きていけない弱い存在であることを認めて主に頼ります。羊飼いは、一匹一匹の羊を良く知り、世話をします。福音を告げ、病人を癒し煩いを癒されたイエス様は「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。」(マタイ9:36)とあるように、苦難を通った者として慰めと癒しとを与えて下さいます。人生の旅を続ける私たちが疲れ果てた時にも「青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴って」下さいます。主を信頼し「何も欠けることがない」と告白する祈りは。砂漠を行くような困難の時にも、「死」と隣り合わせに歩む時にも、羊飼いが鞭と杖とをもって野獣や危険から守るように神は私たちを守ってくださいます。

*祈りは、私たちを主の家に導きます。

 「命のある限り恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り、生涯そこにとどまるであろう。」
様々な出来事が起こる人生の中で、苦しみに遭遇しても、その只中で主はもてなして下さり、祝福を与えて下さいます。そして、作者は恵みと慈しみとがまるで牧羊犬のように私たちがはぐれないよう、守り導いてくれると確信します。苦難の時、試練の時を支えるのは主の約束を信じて生きる信仰です。「あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身(エフェソ2:19)です。私たちは「私は、いつもあなたがたと共にいる」という主イエスの約束を信じる信仰告白をもって生きて行きます。