2010年7月4日

  「聴いてくださる神」 詩篇8

「あなたが御心に留めてくださるとは人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう、あなたが顧みてくださるとは。神に僅かに劣るものとして人を造りなお、栄光と威光を冠としていただかせ、御手によって造られたものをすべて治めるようにその足もとに置かれました。」8:5~7)

教会学校では7月から詩篇を学びます。「賛美」と題される詩篇は数百年の歳月をかけ、150編もの歌で編集構成され、神への賛美や信頼、悲しみや訴え、怒りや希望など、人生と格闘した人々が信仰に基づいて歌いあげています。そして、「ぶどうしぼりの歌」とも訳されている第8編は、神賛美と、その神に世界の管理を委託された人間の現状と、神によるその光栄の回復の望みが歌われています。

「神に僅かに劣るもの」とは、人は神に似せて造られているが、神のようにすべてのものを管理し、治めることはできないということです。旧約の人々は、神の戒めに立ち返り悔い改めてその委託に応える者となることが求められています。

マタイ11章28節「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」と、イエス様は、疲れきった上にさらに重荷を負って苦労している人に休息を与えられます。その休息は真夏の炎天下、働き続け、渇きを覚える人に与えられる冷たい水一杯と言えます。「新しい生き生きとした命」で、「さあ、もうひと頑張り」と立ち上がる力が湧き上がる一杯です。「重荷」とは「律法、戒め」との有力な解釈があります。「あれはしてはいけない」「これをしてはいけない」という戒律の世界に生きる、それを頑なに守ろうとする人々や、守れなくて罪責感の中にある人々に向かってイエス様は、私の自由の律法のくびきを負いなさいと言われます。「わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

この世に生きる限り、私たちは神の多くの恵みを管理しながら生きる責任があり、同時にその重荷を負って苦しんでいます。しかし、「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)とのイエス様の自由のくびきを負う時、掟は責任や重荷ではなく、お互いを生かす新鮮な新しい命の水となります。