2010年6月13日

 「聖霊による交わり」 ローマの信徒への手紙129~12

 聖霊降臨日、エルサレム巡礼に来ていたローマ在住のユダヤ人から生まれたと思われるローマの教会にパウロは福音を伝え、神の恵み主導の救い、愛が先行する世界を築いていくことの大切さを伝えました。しかし、実際にはユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンの間にある人間関係や信仰生活上の諸問題に、信仰の基準に立って対応する必要があってこの手紙が書かれました。
臨床心理学者であり牧会経験もある丸屋真也氏は、その著書「健全な信仰とは何か」の中でクリスチャンが抱える問題の根底にいくつかの傾向があることに気づかれたと言います。第一に、クリスチャンとして目指すべき明瞭で具体的な姿や目標が定まっていないということ、礼拝や祈りデボーションを目標に掲げても、それは成長のために十分ではないということ。第二に、みことばの理解と現実の生活の間にギャップがあり、それを埋める手立てが十分にわからない状態で、二重の生活をしているということ。みことばの理解が大人のようであっても、生活への適用の仕方が幼いということ。第三に、信仰生活の基本に対する誤解があること。その誤解は表面的には聖書的、信仰的、霊的に見えるため見過ごせないということ。そして第四に、牧会者の人間関係に対する考え方や信徒とのかかわり方に誤解が見られるということ、です。どの気づきも、私たちを解放に向かわせるものだと思います。
本日の聖書の箇所は、ローマの信徒たちに信仰生活の規範を与えるものです。その冒頭、パウロは「愛には偽りがあってはなりません」と言います。言い換えれば、信仰にある私たちは現実の自分と向き合いながら主との日々の交わりを通して内面的外面的に成長していく必要があるということ、真実の愛に近づいて行くことです。人間的にいくら立派に振舞っても取り繕えないのが人間性であり霊性です。
「神よ、わたしを究めわたしの心を知ってください。わたしを試し、悩みを知ってください。」(詩篇139:23)霊的成熟は、問題に直面した私たちにその本質を見極めさせ、主に私たちの心を探り極めていただくことを求めさせます。そして、聖霊の導きにより、問題への相応しい対応と、時には人の助けや専門家の助けを求める判断力を与えます。「兄弟たち、物の判断については子供となってはいけません。悪事については幼子となり、物の判断については大人になってください。」(1コリ14:20)とパウロは語りますが、主を素直に信頼し、あるがまま祈り、み言葉に照らし主に従って生きる事をコツコツと重ねていく時、周りの人がまずその人の霊の成熟に気づくでしょう。ご聖霊は私たちを主体的な神との人格関係に導きます。