2010年4月18日

「価値観を変える愛」  マタイによる福音書9:9~13
人間自身が作り出す優劣の基準、順位、そして差別を考えると、少し怖くなります。先日、NHKの特集でルワンダのことを取り上げていました。16年前の大虐殺も、元はと言えば、人間が勝手に作り出した優劣の基準から始まったものでした。人は、他の人の足りない部分を見つけては、差別し、優位に立とうとします。それは大昔から今まで変わることのなく備わった人間の価値観、人間の本能とさえ言えるのかもしれません。徴税人という、当時のイスラエルでは穢れた、忌み嫌われる職業についていたマタイのもとを、ある日イエスが通りかかられ、「わたしに従いなさい」と言われました。また、多くの徴税人や罪人たちと食事を共にしながら、なぜそんなことをするのかと問われると、「医者を必要とするのは丈夫な人ではなく病人である」と、きっぱり言われたのです。イエス様は、弱い者、足りない者のために来てくださいました。イエス様は優秀な者や強い者ではなく、弱い者、蔑まれるような者にこそ価値を見出し、声をかけてくださいます。イエス様には、人間が作り出した価値観などまったく関係ないのです。弱肉強食、優勝劣敗、そんなものを当然だと思っていた人間の価値観を打ち破り、優秀な者、強い者よりも、弱い者、足りない者が価値を持つという逆転が起こったのです。このあり得ない逆転を可能にするものが、たったひとつだけありました。そして、今もあります。それが「愛」だということを、イエス様はご自分の体をもって教えてくださったのです。驚くべきことに、その「愛の力」は誰でも持つことができるものなのです。お金がなくても、地位がなくても、学歴がなくても、勉強ができなくても、病を持っていても、歩けなくても、「愛」を持つことは誰にでもできるのです。そして、それこそが、最も尊く、大切なものであることを、イエス様が十字架と復活で証明してくださったのです。「月足らずで生まれたようなわたし」と言ったパウロの上にも、その復活のイエス様は現われました。私たち、弱さを覚える者すべてに、今日もイエス様は現われてくださいます。「これらの小さな者を一人も軽んじないように気をつけなさい」と仰って、小さな私たちのもとへ、一人も見逃さずに現われてくださり、その価値観をひっくり返してくださるのです。                                       (高橋寛幸)