2010年4月4日

Happy Easter! 2010年4月4日はイエスキリストの復活の日です。
「福音は届いていますか」コリント人への手紙一 1:18~25

三寒四温と言いますが、桜の開花とともにようやく春らしくなってきました。冬枯れに命のはかなさを見ても、春には新しい命の恵みがあることを私たちは知っています。しかし、移り行く生活の中に厳しい現実があることも私たちは知っています。

「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」(1:18)
パウロの言う十字架の言葉とは福音、「すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れその後十二人に現れたことです。」(15:3)幸せな時、私たちは神を賛美し崇め、喜ぶことができます。しかし、苦しみや試練に遭った時、「神は愛である」などと告白する余裕はありません。「神も仏もない」としか言いようのない時、初めて主体的な信仰が求められます。耐えられない苦しみに遭った時、「助けられない神は神ではない」、「神がいるなら証拠を見せよ」と、私たちは、主イエスが人々から「十字架につけろ」と叫ばれ、兵士たちから「十字架から降りて来い」と侮辱されたように訴えてしまいます。今を生きる私たちが、自分の力で生き、この世の力によって生きている限り、神の力は実感できません。神の力は十字架の言葉の中に隠され見えないからです。十字架上の「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)」(マタイ27:46)とのイエス様の叫びに「神は愛である」との主の告白を見る思いです。
復活の力は 「十字架の言葉」の中にあります。
十字架はこの世では、罪の裁き、敗北、惨めな死を意味します。しかし、パウロはその言葉が神の力であると言うのです。十字架の言葉は見えない隠された力(ドナミス)です。「イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。」(ローマ4:25) 復活は、それを信じる者に救いと勝利をもたらす神の力であり、人を変えていく目に見える力(エネルギー)となっていくものです。イエスを否定したペトロ、見捨てた弟子たち、復活を疑ったトマスにその生き方を変えさせる力となったものです。今を生きる私たちに十字架の言葉、すなわち罪のための死と復活の福音が届いているでしょうか?二千年前に与えられた復活の見えない力は、信じるという主体的な信仰によって私たちの苦難と試練の中で今日も働いています。