2010年3月14日

 「召し出されている者の歩む道」エレミヤ書1:4~8、ガラテヤ書1:15~17

 2009年9月30日をもって西南学院大学神学部を卒業いたしました、秋山義也といいます。2010年4月より、同大学の大学院に進学予定です。現在は神奈川県にあります相模中央キリスト教会に住み込んで、研修の時を過ごしています。本日は私の祖母である秋山甲子、叔母、妙子ブランナー一家が大変お世話になっている青葉キリスト教会で奉仕することが許され、心より主に感謝しております。

 聖書の中には様々な召命の記事があります。その中には、主からの直接の召命を頑なに断った者達もいました。イスラエルの民を導いたモーセは「口が重い、舌が重い」(出エジプト記4:10)という理由で、偉大な預言者であるイザヤは「私は唇の汚れた者」(イザヤ書6:5)という理由で断ります。両者とも、語る技量のなさ故断りを入れているのですが、若干18歳のエレミヤの場合は「若者にすぎないから」(エレミヤ書1:6)というユニークな断り方でした。

 このところに拠ってかどうかは分かりませんが、私が出会ってきた牧師の中には、若くして召命を受け、献身の道を歩もうとする兄弟に「社会に出てからでも牧師になるのは遅くはない」と、勧める先生がいらっしゃいました。私自身、19歳で牧師への召命が与えられ、神学部に入学し、今日まで生かされてきました。しかし、その道は何と大きなつまずきの連続であったことでしょうか。ある時は他人とどうしても理解し合えず、もだえたことがありました。また、他愛も無い失敗から、大きな絶望を味わったこともありました。

 若さゆえの失敗や過ちがあります。しかし、教会の祈りは、私をいつも立ち上がらせてくれました。「もうだめだ」という時、与えられた主の召しを再び想い起こすチャンスをくれました。大きな壁を乗り越える希望をいただいて、今私は歩んでいます。

 「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネによる福音書16:33)世では苦難があります。ですが「しかし、勇気を出しなさい」と言われるイエスの言葉をただ信じて、歩む者に皆さんも招かれています。共に祈りあいながら、真理であり、命であり、道であるイエス・キリストの道を共に歩んでまいりましょう。