2010年2月7日

「仕える自由」 コリントの信徒への手紙第一9:19~23

 教会教育2月7日教案資料には「日本日曜学校協会は、1941年の日本キリスト教団設立と共にその日曜学校局となった。」と大嶋香織さんの記事が引用されています。そして、日曜学校局は翌年、教案誌「教師の友」を創刊し、戦意高揚教案を次々と掲載すると共に、戦闘機献納のための献金や慰問文や図画の提供を子どもたちに呼びかけた・・。と記録されています。「~のためなら、わたしはどんなことでもします。」という決心は尊く、人に使命感や忍耐力を与えてくれます。しかし、目標が間違っていた場合、惨たんたる結果が待ち受けています。

 「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」(ヨハネ8:31,32)

 若い時のパウロはユダヤ教の信奉者として、キリスト者最初の殉教者ステファノの殺害に加担するばかりでなく、自らも神に喜ばれ正義であることと信じ、キリストを主と告白する者たちを迫害して行きました。聖書の言葉を信じ、礼拝を守り、神に従うことを願う私たち一人一人がイエスご自身のもとにではなく、人間のもとに集まる時、私たちの賜物や情熱、能力が的外れなものに用いられ、悲しい結果を生むことになることがあります。しかし、パウロは神の憐みにより、復活のキリストを知り、人生の焦点を見出しました。彼の手紙は、自分の弱さを十分認めた上で、人生の方向を主に向かわせることと、信仰によって日々修正していく必要を教えます。

 「福音のためなら、わたしはどんなことでもします。」 私たちは「あなたのため」と言いながら、自分の考えで物事をとらえ、頑張り、疲れ果てて燃え尽きてしまうことがあります。また、信じていたものから裏切られ、期待がはずれ失望してしまうことがあります。しかし、「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6) と宣言なさるイエス様が、的外れに生きる私たちの罪のあがないとなってくださり、復活されたことを信じるなら、生きた希望が生まれます。

 11日は建国記念日、キリスト者にとっては「信教の自由を守る日」です。それは、政治や法律からでさえ個人の尊厳を守るために制定された憲法を守り、信じる自由を訴える火です。そして、神を信じる者たちにとっては、神の領域と人の領域を分別するために恵みの信仰に立ち、神と人とに仕えることを覚える日です。