2010年1月31日

「イエスはおられるか」マタイによる福音書18:18~20

 イエス様は、シモン・ペトロに対し「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。」(16:18)と教会の創立について語られました。ペトロが「あなたはメシア、生ける神の子です。」と告白したように、教会はキリスト告白を土台とした赦された罪人の集まりです。その後、ペトロはイエス様が苦難を受けて死に、三日の後、復活されることを否定し、イエス様に厳しくたしなめられました。教会が人間の思いではなく、神の恵みのご計画によって立てられるべきことを示しています。

 そしてまた、イエス様は神殿の境内で罪の赦しのための犠牲を商売にしている人たちに向けて激しく怒られ、「この神殿を壊してみよ。三日で立て直してみせる。」(ヨハネ2:19)と宣言されました。キリストが神との和解となり、教会がその恵みによってこの世にあって建て上げられていくべきことを示す重要な箇所です。十字架に死に、復活されたイエス様が罪の身代わりであり、神と人との間に立ってくださり天と地とを繋いでくださることを証しするのが教会の務めです。あなた方が禁止することも許可することも天国でそのようになるとさえイエス様はおっしゃるのです。

 私たちの願いと祈りの最も大切な土台は、イエス様の臨在です。「あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる。」この言葉の直後、罪の赦しについてのペトロとの問答が続きます。あなたに罪を犯した者を七の七十倍赦しなさいとのイエス様の言葉は、不可能を可能にする主なる神に寄り頼んでのみ望みとなる言葉です。「どんな願い事であれ」とイエス様は勧めて下さいます。私たちの教会は今教会堂建築に踏み出しています。現実を見れば不可能と思える問題もあり、人間関係や信頼関係に亀裂が入り壊れることもあるかも知れません。しかし、罪さえ赦す権威を持っておられるイエス様が、地上における教会の必要を満たすことができないはずはありません。大切なこと、それはイエス様にあって赦し合い愛し合うこと、心を一つにすること、イエス様のご臨在をもって集まること、そこに主のみ業が現れ、私たちは主の栄光を見ることができるのです。教会はその証のために地上に立てられています。