2009年12月27日

 「しんがりを守る神」 イザヤ書52:11~12

 「立ち去れ、立ち去れ、そこを出よ。汚れたものに触れるな。その中から出て、身を清めよ、主の祭具を担う者よ。しかし、急いで出る必要はない、逃げ去ることもない。あなたたちの先を進むのは主でありしんがりを守るのもイスラエルの神だから。」

 クリスマスを終え、街は新年への備えにあわただしく動いています。今年も色々なことがあり、過ぎ去った一年のことが思い起こされます。過ぎた日を思いながら来年のことを考えてみると決して明るい気分だけにひたることはできません。しかしクリスマスは、行事で終わるのではなく、新しい命の視点への始まりです。イザヤが「奮い立て、奮い立て(口語訳:さめよ、さめよ)、力をまとえ、シオンよ」(52:1)と辛酸をなめつくし、滅亡を前にしたユダヤの民に国の回復の希望を与えたように、私たちに神が与えてくださったイエス様とその業とに目を向けよと語りかけます。「奮い立つ(目覚める)」力は私たちからのものではなく、キリストが上より降ってくださったように、恵みとして上より与えられる力です。神様は私たちの生活や人生に深く関与しておられ、恵みを賜っています。現状がどうあれ、「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり、わたしの道はあなたたちの道と異なると」(イザヤ55:8)言われるように、私たちが「今が一番幸せ」と言えるようにと神様は一人子を捧げるほどの愛を注ぎ続けてくださっています。

 「立ち去れ、立ち去れ、そこを出よ。」とのみ言葉は、捕らわれの国バビロンから出よとのご命令です。私たちの心のバビロン、自分のこだわりや考え方、価値観から解放されることを意味します。復活のイエス様を認めることができなかったトマスにイエス様は「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と語りかけられました。イザヤは、「急いで出る必要はない」とも語ります。新しい年に向け、力ある神の前に静まりましょう。「あなたたちの先を進むのは主であり、しんがりを守る」神を信じて過去をそして未来を、静まってあわてず騒がず考えたいです。神様よりも現実だけを信じると、何もいいことがない、何も変らないとしか言いようの無い世の中です。神様は、変えようのない過去や知ることもできない将来を掌握し委ねることを求めておられます。「いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(1テサロニケ5:16)との私たちにとって困難この上もないパウロの言葉は、苦難を負った僕であり再臨の主であるイエス様に私たちの目を向けさせるものです。