2009年12月13日

 「 神の栄光」 ルカによる福音書2:1~14

 本日の聖書の箇所はイエス様の誕生の次第を私たちに告げます。私は特に14節の「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」という言葉が好きです。聖書は神の栄光や、神を讃美することの大切さについて多く語ります。ペトロは、クリスチャンではない人々が私たち、クリスチャンの立派な行いを見て神さまをあがめるようになる。(1ペトロ2:12)と証しました。

 Paris Reidhead という人はその説教の中で、いくつかの重大なことを語りました。彼は、私たちがクリスチャンになり、自分の罪を悔い改め、自分の人生をイエス様に捧げる理由は、私たちが救われる必要があるからではないと言い、イエス様は私たちが彼を主、そして救い主として信頼することに値する方なので、私たちはクリスチャンになると言うのです。イエス様は、私たちが恵みにより信仰において彼のところへ行くことがもたらす栄光に値するのです。私たちは、神さまの栄光のためにクリスチャンになります。救いはすべて、父なる神、御子なる神、そして聖霊なる神の栄光のためであり、イエス様の栄光は救いの焦点なのです。イエス様の死と復活はイエス様の「父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すようになるために、子に栄光を与えて下さい。」(ヨハネ17:1)との願い通り父なる神とイエス様に栄光をもたらしました。

 クリスチャンの人生の目的は、あなたと私にイエス様と共にある永遠のために備えさせることです。それは、あなたに主を礼拝し、彼の御名に栄光をもたらすことを教えるのです。クリスチャンの生活は「あなたと私の人生の中で神さまはどのようにして称賛されるか」ということで、私たちが自分の心地よさ、幸せ、満足ではなく、神様の栄光、神様の御心を求めることを意味するのです。ヒューマニズムは人間に集中しますがキリスト教はイエス様とイエス様がなされたものに集中します。クリスチャンの兄弟、姉妹、イエス様はあなたの人生に値する方なので、あなたの人生をイエス様に任せてください。イエス様に栄光を与えたいという願望で毎日を生きて下さい。まだクリスチャンでない友人、あなたの罪を悔い改めて、イエス様にあなたの主、救い主としてあなたの人生を捧げて下さい。なぜならば、イエス様はあなたが彼を主、そして救い主として信頼することに値する方だからなのです。