2009年11月29日

 「主が助けられたので」 使徒言行録11:19~26

 教会は本日より主イエスのご降誕を待ち望むアドベントの季節に入ります。同時にバプテスト連盟の諸教会伝道所では世界祈祷週間を覚え世界宣教の恵みを分かち合います。今年は例年よりもさらに不景気だと言われ、教会も宣教困難な時代の中にあると言われています。初代教会も聖霊注がれて大胆に福音伝道が開始され、教会の形が整おうとした頃、ステファノ事件により公に迫害が始まりました。

 「これから」という時に起こる困難な出来事の中で、教会は大切なことを学びます。それは、自分たちの考えや方法が主の救いのご計画を実現していくのではなく、主ご自身が実現されるという原則を学ぶことです。「イエスはキリスト(救い主)である」と人生のすべての領域において告白していく時、人の方法によってではなく神が神の方法によって状況を変えていかれるのです。迫害で散らされた人々は、主が「ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」と語られた通り、福音を宣べ伝えることとなりました。しかも、彼らはユダヤ教内部で起きた宗教改革が異邦人に及び全人類に至ることをまだ誰も知らなかったのです。聖霊はまた、迫害者サウロ(回心後のパウロ)を教会と和解させ、大伝道者に変えたのです。主イエスは人の内部さえも改革される方です。主の名を何にもまして愛する者を主ご自身が助けてくださることを信じたいものです。

 「にもかかわらず」という世界で主は主の業を進められます。少子高齢化、構造不況、デフレスパイラルなどと言われる世界で、教会は守りの姿勢を取りたくなるものです。しかし、流れ着いた信徒たちが、迫害にもかかわらず宣教を止めなかった時、アンティオキアの小さな教会は本家エルサレムの教会にも出来なかった異邦人への宣教に導かれていました。世界宣教の拠点となったアンティオキアで信仰者がはじめてキリスト者、クリスチャンと呼ばれました。現実は困難な状況にあろうとも、主の名を信じる者たちはその困難に向けて派遣されていくのです。 「あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。」(ヤコブ5:13,14) 主の降誕を待ちます。