2009年10月18日

 「信じる愛」 ローマの信徒への手紙8:28〜30

 「同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」

 神を信じるということは、単に神の存在を認めることではありません。信仰を持つ人はその信仰を働かせます。なぜなら神様は約束を必ずお守りになる方だと信じるからです。でも、弱い私たちはそれでも神様に信頼することができません。それは、聖霊が与えられていることを忘れているからです。使徒1:7でイエス様の言葉として「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。」と約束されています。信じる者は聖霊の助けなしに本当の意味で祈ることはできないのです。祈る前に聖霊の助けを求める必要があり、聖霊は祈る私たちと一緒に居て、私たちに代わって、神に近づけさせ、キリストに近づかせてくださいます。旧約時代は限られ、選ばれた人々に与えられた聖霊は今や異邦人をはじめ、信じる者全てに与えられています。(使徒10:44)

 「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」

 神を愛することはみ心に従って生きることと言えます。思い通りにならないことやストレスにさらされることは決して悪い面ばかりではありません。「もし神がわたしたちの見方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。(8:31)」万事が益となることはただ利益になるということではありません。どのような出来事の中にも神が共にいてくださり、み心にかなう良いことのために働いてくださることを知る機会となるということです。願いを何でも聞いてもらえる神よりも困難に直面した時、それがどんな困難であろうともひるむことのない神が共におられる事の方が力となります。「しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。(8:37)」