2009年8月16日

 「解放と平和の戒め」 申命記5:16〜22

 国連憲章は戦争を否定します。しかし、戦争が無くならないことからせめてルールを作ろうということになりました。それを「戦時国際法」と呼びます。しかし特にその中の「非戦闘員保護」は守られた事はありません。戦争の一番の犠牲となるのは一般市民を含む非戦闘員です。ヤコブは争いの原因は人間の欲望にあり、願い求めても与えられないのは、間違った動機で願い求めるからである(4:1-3)と言います。

 十戒はユダヤ人が守るべき戒めと解されていますが、実は神との信頼関係の中で彼らが自身の欲望から守られていくための恵みのことばだったのです。最初の人間、アダムとエバは神とただ一つの約束をしました。「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。(2:16)」しかし、彼らは蛇に誘惑され約束を破り、園を追放され、善悪を自分で判断して生きるものとなりました。時を経て一つの民族から永遠の命の回復への旅が始まります。そして、十のおきては何百にもおよぶ律法へと拡大しました。それは人間の、貪欲との戦いの歴史でした。

 「父母を敬え」それは創造主を尊ぶこと、ひいては自分自身の存在を尊ぶことです。自分を大切にする人は人を大切にします。「殺してはならない」それはこの世に一つしかない命を私物化しないことです。「姦淫してはならない」性は美しいもの、神様からの恵みであり祝福です。欲にコントロールされる性は心も、健康も、人間関係も害しますが、性を尊ぶことは生き方に示唆を与えます。「盗んではならない」それは物に限ったことだけではありません。不正に権威や権利(枡、秤、物差)を乱用してはならないこと、浪費(むだ遣い)もそれにあたります。

 厳しいようですが、それによって人生や社会が壊れていくのも事実です。疲れやストレスも体を守る信号です。感覚や感情をごまかすことも盗むことです。貪欲を警戒し、与えて生きる生き方に満たしがあることを知る必要があります。「偽証してはならない」それはただ嘘を言わなければ良いということではありません。真実を互いに求め語り合うということです。「子育てはことばを育てること」と言います。最後に「隣人の家を欲してはならない」とあります。不当に自分を人と比べる時、うらやみは嫉妬となり、劣等感となり怒りを産みます。十戒は人の罪を明らかにし、イエス様の十字架は人間の力では不可能だった罪の束縛から私たちを解放し、神との平和をもたらしました。