2009年6月28日

 「平和をつくるもの」 ローマ人への手紙5:1〜11

 アッシジの聖フランシスコ 平和の祈り

 神よ、わたしを平和の使いにしてください。

 憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように。いさかいのあるところに赦しを、分裂のあるところに一致を、迷いのあるところに信仰を、 誤りのあるところに真理を、絶望のあるところに希望を、悲しみのあるところによろこびを、闇のあるところに光をもたらすことがきますように、助け導いてください。

 神よ、わたしに、慰められることよりも慰めることを、 理解されることよりも理解することを、 愛されることよりも愛することを望ませてください。 自分を捨てて初めて自分を見出し、赦してこそ赦され、 死ぬことによってのみ、永遠の命によみがえることを深く悟らせてください。

 「シャローム」イスラエルの人々にとっては日常の挨拶の言葉です。「神の平和があなたと共にありますように」との意味ですが、それに留まりません。その言葉は、平安、長寿、健康、和解、調和など生活の中における神の恵みのすべてを表します。平和の挨拶は、祈りであり平和の関係の先取りです。主イエスは「敵を愛し、自分を迫害するもののために祈りなさい・・。」(マタイ5:43)と言われました。

 「わたしたちは信仰によって義とされ、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ている。」(ローマ5:1)どんな状況の中でも希望があるのは恵みです。使徒パウロは、神の平和は苦難さえ希望に変えると言います。聖フランチェスコの祈りは、悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる神との信頼関係によりもたらされる逆転の祈りです。

 「神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。」(2コリント5:18) 十字架に死に、蘇ったイエス様は、迫害を恐れて隠れ集まっていた弟子たちの前に現れてくださり、「あなたがたに平和がありますように」と語りかけ「父がわたしをお遣わしなったように、わたしもあなたがたを遣わす。」と言ってから聖霊を送られました。(ヨハネ20:19)キリストにある新しい挨拶「シャローム」が私たちの日常の生活の中で生きて働くよう祈ります。