2009年5月24日

「結ばれて生きる」 コロサイの信徒への手紙2:16〜19

 コロサイの信徒に宛てた手紙の目的は、問題を抱えた教会に、キリストが全てのものの頭であることをはっきり示すことでした。

 キリストは教会の頭であり、この頭(かしら)の働きにより成長します。(1:18、2:19)人の集まりである教会は希望によって支えられています。しかし、その希望が人間の思いによるとき、絶望と期待はずれから人々は教会から去り、力を無くしていきます。神に期待せず人や人の力に期待することは、頭が無い体を作ることと同じだと言えます。

 パウロは言います。「御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。(1:15)」「神は御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、単にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。(1:19)」 キリストを信じ頭とするとき、出来事がキリストにつながり、導かれます。一見不幸に見えることや試練の中にキリストの血が通います。

 イエスは言われます。「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。」(ヨハネ15:4)大切なのは個々の働きではなく、個々がキリストと生きた関係にあることです。

 主イエスに倣う新しい人を身に付け、日々新たにされて生きる。(3:9-11)

 世の中、エコブームでリサイクルして物を大切にするのは良いことですが、信仰においては、新調することが大切です。それは、自分の力で古い自分を脱ぎ捨てることではなく、十字架の苦しみと死を通って真の救いを与えてくださったキリストという新しい上着の素晴らしさを知ることです。「あなたがたは、主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストに結ばれて歩みなさい。キリストに根を下ろして造り上げられ、教えられたとおりの信仰をしっかり守って、あふれるばかりに感謝しなさい。」(1:23) ことあるごとにキリストに結ばれていることを忘れず、感謝して生きて行きたいと願っています。