2009年5月17日

「信仰に生きる」 第一コリント13:13

 「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です」

 私たちの信仰生活に大切なものは信仰と希望と愛です。そして、一番優れているものは愛です。今日は信仰について学んでいきたいと思います。

 「いつまでも残るものは」とあります、信仰も希望も愛も目には見えませんがいつまでも残ると言われています。実際ソロモン神殿は今では跡形もなく崩れて残っていませんが、へブル11章の信仰に生きた者達の信仰の証しは鮮明に残っています。

 「信仰と希望と愛」この順番も大切です。信仰の伴わない希望は願望と言います。そして願望の信仰に生きる事は自己中心あり偶像礼拝です。私たちの信仰生活は神様に純粋に従うことです(ローマ10:17)。大切なことは神を「いかに信じたか」「どう信じてきたか」なのです。

 私たちは信仰に生きようと願うときに「私の信仰を増してください」と祈るかもしれません。それは決して悪いことではありませんがイエス様はルカ17:5−10のように答えられました。私たちは信仰を増そうと考えますが、信仰に生きることは複雑なことではありません。信じるか信じないかだけです。単純に信じて神様に従うことです。子供でもできるのです。ある意味子供のほうができるといえます。「からし種ほどの信仰」とは個人の小さな見えないほどの信仰です。しかしたとえ小さな信仰であったとしても、信じる者のために神様が偉大なみ技をなしてくださるのです。信仰は、ある意味において、減少していくことが必要です。それは、自分の願望や自分のやり方を捨て、不純物なしで信じることです。

 信仰生活には戦いがあります。マタイ8:23〜26では船が出た時、弟子たちは偉大な師を得て平安であったでしょう。しかし、暴風雨を見て弟子たちはおびえます。私たちの心境・状況・環境は天候のようにコロコロと変化します。私たちの信仰の基盤が状況や心境に置かれるとき、安定した信仰生活を送ることができません。私たちはいつでも信仰の創始者であり、完成者であるイエス様から目を離してはいけません(ヘブル12:2)。私たちはすべての問題に解決を与えられています。なぜなら最大の問題である死を十字架によって解決されているからです。私たちは周りの状況やさまざまな事で、恐れたり不安になったりしますが、どのような状態の中でも神に信頼し続けていきましょう(箴言3:25〜26)。