2009年4月19日

「世の中みんな変わって欲しい」 ヨハネによる福音書5:1〜9

 聖書には、たくさんのたとえ話が出てきます。きょうの箇所も何度も読んだところです。この中のイエス様の質問には、びっくりさせられます。何という言い方でしょうか、私は最初にここを読んだとき、イエス様が変なことを言うわけがないからと、ただ、読み過ごしたことを記憶しています。

 この男は、長い年月苦しんで来ました。38年間、まさに私の三月までやってきた仕事と同じだけの年月を苦しみ続けてきたわけです。

 今日の私たちを取りまく環境はどうでしょうか。異常気象、温暖化、食糧危機、テロ、偽装問題、年金問題、金融危機・・・何とかしなくてはならない問題が山積しています。」

 とにかく、私たちは何か変わらなくてはならない、抜本的な変革がなくてはならないことはいつも感じています。でも、あなたが自身が変わらなくては・・・と言われると、それは簡単には出来ないのです。

 イエス様は「良くなりたいか」とおっしゃいました。「変わりたいか」とおっしゃいました。でもその時、私たちは、「変わりたい」と言えず、言い訳をしてしまうのです。

 確かに世の中には変わって欲しいけれど、自分の生活パターン、自分の魂の根本的な問題を問われると、大変だし、心配だし、二の足を踏んでしまうのです。

 「でも、変わるのは怖いんです。今の生活を急に変えることはできません。もう少し努力して、自分の環境を改善してから、決心します。」

 いいえ、そんな必要はありません。今のままの、ありのままの自分で、ただ、神さまに全てを委ねて歩み始めるときに、その時にこそあなたは劇的に変わることができるのであります。

 イエス様が十字架につけられた時、その最終的な危機的な状況の中で奇跡が起きて、ローマ軍が滅ぼされ、キリスト教徒の幸せな世の中が来るのではないかと期待した人がいたかもしれません。

 しかし、そのような目の前の奇跡が起こるのではなく、「この十字架の救いを信じるか」と、神様は私たちに迫られました。

 世の中が変わるのではなく、あなたは「変わりたいのか」と私に、そしてあなたに、神さまは、いつも問い続けられています。